共生の文化


花鳥風月の場所論 5


5 位相空間としての古今和歌集


 古今和歌集的時空は世界としての特質を備えていることを見たが、その世界に特徴的なことは、都人にとってフィジカルにもメンタルにも非常にストレスフルであったにも関わらず、あるいはむしろ、だからこそ古今和歌集的世界にはストレスフルな社会性はなく、祟る自然もモノノケもない。すべてが、ある近さの中にある。

 歌に登場するものたちは今、ここにない。彼方にある。としてもしかし その概念、イメージは、はっきりと心の内にある。内面的なある親しさの内にある。

 この内面性と距離の感覚を適切に表現し、比較、対照、応用を考えるためには、内面ということと近さということを適切に抽象する概念が必要である。そこで位相数学の概念を援用することを試みる。


*位相空間

 距離空間から位相空間を導出するというプロセスを辿るとすると、位相空間に含まれる距離空間より、近傍の概念と、それによって定められる部分集合の内部、外部、境界は次のように定義される(20)。

 1 距離空間(X,d)の点pと正の実数εが与えられたとき、この(X,d)がn次元空間として、pを中心とする半径εのn次元球の内部(ふちのない球体)を点pのε近傍(あるいは単に近傍)と呼び、U(p,ε)と書く。すなわち、 

  U(p,ε)={x|d(p,x)<ε}  

 またεをすべての正の実数の範囲で動かすことができるpのε近傍の全体{U(p,ε)}を点pの近傍系と呼ぶ。

 2 距離空間(X,d)において、Mを与えられた一つの部分集合とすると、Xの点pは、pの近傍にMの点xがどのように分布するかによって分類することができる。

・a Xの点pに対して適当に正数εをとれば、U(p,ε) Mが成り立つとき、pをMの内点という。Mの内点すべての集合をMの内部(interior)または開核(open kernel)と言い、Mであらわす。
・ b MのRに対する補集合Mの内点をMの外点という。すなわち、
U(p,ε)X-Mとなる点pの近傍U(p,ε)がある。Mの外点すべての集合をMの外部(exterior)といいMであらわす。
・ c Rの点でMの内点でも外点でもない点をMの境界点という。すなわち、
pの任意の近傍U(p,ε)に対し、U(p,ε) M≠φ
かつ U(p,ε) X-M)≠φ   

  Mの境界点すべての集合をMの境界(frontier,boundary)と言い、Mであらわす。


*古今和歌集の位相空間性

 古今和歌集と、さらに正岡子規が古今和歌集の範疇と認める(21)テクストを、そのテクストにあらわれるもの(の名)と、歌い手と歌の共感者(われ、われわれ)を元とする集合、又個々のテクストの表現する諸場所はこれらのもの(の名)と歌い手と歌の共感者(われ、われわれ)とからなる部分集合、と定義すれば、近傍のモデルをかりてこのテクスト空間総体の位相を定めることも可能になるはずである。

 個々のテクストはもの(の名)と「われ、われわれ」とからなる部分集合=諸場所を表現する。

 古今和歌集の世界の内では、ものはわれわれにとってある近さの中にあり、そのことを近傍と呼ぶべき開集合を構成していると表現することができる。点p(われ、われわれ)のε近傍は、歌い手とそれに共鳴する鑑賞者の場所であり、近しいものたちに囲まれた、われ(われ)の思念の及ぶ範囲である。

 古今和歌集的世界の全体は、この諸場所という近傍の和集合からなる開集合である。
そこには、歌い手や鑑賞者の思いもよらぬもの(外点)はなく、内側から外の世界を見渡すこともない。

 つまり、古今和歌集的世界には外点、境界点が不在である。

 もしその場所の広がりに境界が含まれていれば、それは閉集合であり、その境界点に立てば、その向こうに異質な別の世界が広がっていることを知ることができるはずである。

 この意味で、古今和歌集の世界は内部空間である。内部空間とは、したがって、さしあたりみずからに親しいもののみの場所である(9)。

 この内部空間は境界がそれに属さない領域であるが故に密閉されており、かつまた開空間であり、いわば無限である。そして外部 Mも境界 Mもない。


(20)松坂和夫:集合・ 位相入門、 岩波1968
(21)正岡子規:歌詠みに與ふる書






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