共生の文化


花鳥風月の場所論 4


4 歌合のインスタレーションとパーフォーマンスと意識変容



 摂関政治の体制が整えられつつある頃、律令制の崩壊が近づいてくると、漢詩文への関心の後退、和歌の復活という現象が起こってくる。特に漢字の世界に縁遠かった後宮の女性達の世界が、藤原氏の独占体制の進行とともに重要視され、様々な意味で歌合が大きな役割を演じることになってゆく。歌合では女性が大勢加わっている。女手が手紙以外に社会的に使われたのは歌合からと考えられている。

 こうした機運の中で、日本文字史上の一画期として、905年、古今和歌集が編纂される。古今和歌集の中には93首の歌合歌が納められており、内容的にも古今和歌集的世界の時代と呼ぶべき時代は歌合の最も盛んで充実した時代と重なっている。

 そこで、歌を詠み古今和歌集的世界を享受する仕方の典型として、歌合の次第を見ていくことにする。

 左右一首ずつの和歌の結番とその優劣の判定とに歌合の基本単位があるとすれば、その反対の究極点には行事内容の最も成熟し複雑化した内裏歌合を標準とする公的晴儀遊宴の歌合がある。

 袋草子下巻は次のような行事次第をあげている(18)。

「兼日、和歌ノ題並ビニ左右ノ頭・念人等ヲ定ダム」「次ニ左右、雑事ヲ定ム」(当日のインスタレーション、音楽その他全体のコーデイネーションを含む)「次ニ祈祷奉弊」「次ニ方人ノ男女祓ヘノ事アリ」「次ニ御装束」(ここで装束とは歌合会場設営のこと)「次ニ左右ノ方人、集会所ニ参入」「次ニ刻限、宸儀出御」「次ニ召シ有リテ公卿相分カレテ御前ノ座ニ著ク」「次ニ左ノ奏。或ル時ハ有リ、或ル時ハ無シ。公卿之ヲ奏ス」「次ニ文台ヲ立ツ」「次ニ員刺ノ具ヲ置ク」「次ニ召シニ随ツテ燈台ヲ供ス」「次ニ、講師・員刺等ノ円座ヲ置ク」「次ニ参入音声ヲ奏ス」「次ニ判者ヲ仰ス」「次ニ披講ノ期ニ臨ミ、堪能ノ者一両ヲ撰ンデ進メ参ラス可キ由ヲ仰ス」「次ニ和歌ヲ講ズ。先ヅ左ノ読師歌ヲ取ツテ之ヲ開キ講師ニ授ク。講師之ヲ読ム。次ニ方人声ヲ挙ゲテ之ヲ詠ズ。次ニ右ノ作法前ニ同ジ。一番若シ持ナラバ、二番猶左ノ歌ノ後ニ出ダス。後ハ負方ヨリ之ヲ出ダス。若シ持有ル時ハ、先番ノ負ニ付クルナリ。又、物合有ル時ハ、先ヅ其ノ物ヲ合ハス。読師之ヲ取出ダシ、講師之ヲ受取ツテ長押ノ上ニ置ク。判者勝劣ヲ定メ、其ノ後、歌ヲ合ハス云々。左右ノ講師是非ヲ陳ブル事憚リナシ」「次ニ判定マル」「次ニ講ヲハル。左右ノ講師・員刺等座ヲ退ク」「次ニ勝負ノ舞。負ケ員多シト雖モ、最後番ノ勝者、勝方ノ舞ヲ奏スベキカ」「次ニ勝方ノ拝」「次ニ盃盤ノ事」「次ニ御遊ノ事」「次ニ大臣以下ニ禄ヲ賜フ」「次ニ宿願ノ事有ラバ後日之ヲ果タス」

 ここでまず歌合の場所のインスタレーションが注意される。

 会場設備、時刻、照明、音楽、舞踊、酒食等である。その点をより具体的にみていくために、歌合儀式の一つの完成体であり、後世の典模ともなった天徳四年三月三十一日内裏歌合を検討する(19)。本歌合は天徳四年(960)三月三十一日、村上天皇の主催によって内裏の清涼殿に催された。

 会場設営について、各種日記の記載を総合すると清涼殿の西廂即ち鬼間、台盤所、朝餉間の七間にわたって設営された。文台、文台の州浜は歌合の場所の視覚美の中心を成す。左右とも山水の盆景に各々鶴亀を置く。

 全体は左赤系統、右青系統でまとめられている。時刻は申のニ刻(午後四時)村上天皇出御、翌四月一日午前五時頃まで十三時間に及ぶ。殿上には大殿油、庭には篝火、盃酌膳羞の中に行事は進められる。勝方、負方は交互に演奏唱歌する。又、薫香も効果的に使用されている。

 萩谷朴は各種日記の内容を総合して装束(インスタレーション)を描いている。

 建物の内外の渾然一体たる空間構成、色彩、造形、音楽、香り、酒食、夜の空気、光の効果、このようなインスタレーションの中でパーフォーマンスとして歌を詠い、それを鑑賞することによって、非常に人工的な古今和歌集的「自然美」の世界へと意識をトリップさせていることが明かである。 

 古今和歌集的自然美、つまりあの想い出の花、想い出の鴬は今、ここにない、しかし、あの花の香り、鴬の声、美しさはありありと私の内にある、という美のあり方は、知覚像として今ここになく、心像として今ここにある、ということを意味している。

 いったい、我々が何事かを想像するとき、知覚を地とすることによってはじめて虚構のイメージが図として浮かび上がる。知覚を地とすることのない心像は夢うつつの幻覚と呼ぶべきものであろう。歌合の様々なインスタレーションは地としての知覚を形づくり、パーフォーマンスは知覚する身体の側を変容させ、そのことを通じて人は古今和歌集的世界へと没入していく。

 こうして古今和歌集能世界の全体は、現実の世界のありようを直接に変えるよりも、現実世界を地とすることによって、非現実の魔術的世界を浮かび上がらせようとするものなのである。

(18)藤原清輔:袋草子、下巻、一、和歌合の次第、新日本古典文学大系29、岩波
(19)萩谷朴:平安朝歌合大成、ニ、同朋社1957






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