共生の文化
花鳥風月の場所論 6
6 写像:現実世界から古今和歌集的世界へ
古今和歌集的世界は「人工的な自然美」の世界であり、ダイナミックに円環運動し、緊密な秩序を持ち、位相数学的内部空間の性質を備えていることがあきらかとなった。
そして、このような世界に没入するためのインスタレーションとパーフォーマンスの組み合わせの典型が、歌合であった。
我々の定義による内部空間は対象を観察したり、写実したりする態度によってはむしろ現象しない空間である。そのような見方をせず、観ずることによってのみ現象するものである。
ここでは、現実の建築的場所の設営は、それそのものを知覚、観察するためにあるのではなく、あるパーフォーマンスを通して古今和歌集的世界へと意識を変成するための仕掛けであることに重要性がある。
この現実世界から古今和歌集的世界へのトリップを、写像mappingと呼べば、古今和歌集的世界へのインスタレーションの全体は、この写像fという機能を持つと言いうる。
一方、古今和歌集的世界がいったん成立すると、今度は想像力の働きによって、現実世界がそのように見えてくる。さらにそれに沿って現実世界が徐々にしつらえられ、知覚の世界へともたらされる。
これは写像に対して、逆写像f⁻¹と呼ぶべきfunctionであり、それを日本の建築、絵画、庭等のデザインに見いだすことができる。
我々は前章において、古今和歌集的世界の「近さ」を位相数学の近傍概念によってモデル化したが、ゲシュタルト心理学者 K.レビンは、20世紀初頭に早くも、我々の現実の生活世界そのものが位相空間的性格を強く持っていることを示し、彼のhodological spaceと名付けるモデルを呈示した。
そこでは、生活世界に広がる物(道具)と自己との心理学的距離はその道具にいたるまでに 心理的境界を何度越えて行かねばならないか、によって決まる、とした。
我々の概念規定とレビンのそれとは多くの点で異なっているが、強引にこの二つのアイデアを結び付けると、現実世界は多くの境界からなる閉集合の集合体であり、一方、古今和歌集的世界は近傍という開集合の集合体である、といえる。
政変に翻弄され、疫病にうちふるえるなか、怨霊、モノノケ、鬼という自らに異質なもの、つまり外部性が突如としてあらわれ出る都にあって、古今和歌集的世界へのトリップは、癒されたいという彼らの願望によって作り出された虚構の自然であり、それがいわゆる日本的自然の原型の一つ「花鳥風月」を創成したのである。これは外部性の排除によって、ある種の平安をもたらすであろうが、彼らの眼前に否応無しにあらわれる現実世界の外部性の前では、非常に不安定な平安であることも指摘しておかねばならない。