共生の文化


花鳥風月の場所論 2

2 内部空間としての古今和歌集



*内部空間


 ギーディオンは、建築における空間概念を、彫刻としての建築、内部空間としての建築、彫刻・内部空間としての建築、の三つとして建築の歴史を記述している。そこで、内部空間は古代ローマによって発見された、としている(5)。

 つまり、ギーディオンの言う内部空間とは、単に外部と隔てられた領域であるだけでなく、その領域における表現意欲のあらわれによっている。メソポタミアから始まるその歴史記述は、自立する建築への意志という精神をあぶりだすことになる。

 N、シュルツは、内部とはまず事物的に囲まれたところであるが、そのままでは内部は空虚なままにとどまる。そこに住まう、という実存の次元が付与されてその内部が意味にみたされた完全な意味の「内部」となる、とする(6)。しかし、住まうという実存の空間性と事物的内部空間とはぴたりと重なるはずもないのであるから、その関係をメタフォリカルに記述している、と解釈しなければならない。

 井上充夫は、常識的に住居のなかを内部空間と呼び、その意味で洞窟住居を内部空間だけの、建築の原形の一つであるとし、内部空間の発展をそのaddition,divisionによって記述している(7)。

 三者とも内部空間を、まずは、外部から事物的に隔てられ囲まれた領域として出発するが、本論では、意識のありようのひとつとして内部を定義し直すことを試みる。
 つまり、内面の領域を内部空間と呼ぶ』のである。この内面は時に壁や部屋や家などと呼ばれる事物の風景として現実化するが、しかしそれは一つのあらわれにすぎない。

 内面の領域を内部空間と呼ぶ

 この奇妙な定義の仕方によって、我々はどこに連れて行かれるのであろうか。

 一体、内面とは何であろうか。

 我々は「自分が今こう思っていることを誰も知らないし、誰も理解できない」と実感することがある。

 これはある領域性であり、また外界から隔てられている、という意味で内部空間である。

 本論で言う内部空間とは内面の領域のことである。そして、本論は内面、つまり心の内という領域が人間の発生とともにはじめからあったと前提しない。内面は、あらかじめあるものではなく、形成され、発見されるものだからである。


*古今和歌集の内部空間

(春上 つらゆき)
 42 ひとはいさ心もしらず ふるさとは 
    花ぞむかしの かににほひける

(春上 在原業平朝臣) 
 53 世中にたえてさくらの なかりせば
    春の心は のどけからまし

(春下 小野小町)
 113 花のいろはうつりにけりな いたづらに
     我身世にふる ながめせしまに


 春に分類されたこれらの歌は、実は「春」の歌ではなく、「おのづから」の人生の歌である。

 これらはみな桜を詠嘆したものではなく、心をおのづからの内にのみ向けたものである。古今和歌集のつくりだした言葉の遊戯は記号としての非在の自然印象に触発されて、おのづからの人生を詠嘆するのである。したがって、古今和歌集における自然の詠嘆は直観的にはきわめて貧しく、しかし心理描写として優れる。


 恋の歌について、

 553 うたゝねにこひしき人を みてしより 
     ゆめてふ物は たのみそめてき
     (恋二 小野小町)

 635 秋のよも名のみなりけり あふといへば
     事ぞともなく あけぬるものを
     (恋三 をののこまち)

 644 ねぬる夜の夢をはかなみ まどろめば 
     いやはかなにも なりまさる哉(かな)  
  (恋三 なりひらの朝臣)

 656 うつゝにはさもこそあらめ 夢にさへ
     人めをもると みるがわびしさ
     (恋三 こまち)

 これらは恋の歌ではあるが、万葉にみられた強い情動性はここにはない。直接に哀求する情動はない。そこには恋の心に起こる情調の襞が歌われている。心はみづからの内面に向かっているのである。

 万葉集には恋の部立がない。

 折口信夫は次のように分析する、

「恋歌といふ名は古今集から始まつてゐる。ただし恋歌といふものは、古今集以前にもあつたには相違ないが、ずつと昔に溯ると、恋歌の意味が違つてくる。其は恋愛歌といふ意味ではなかつた。・・・こひ歌とは、結局魂乞ひの魂が脱落したことになる。」(8)

 恋歌は魂乞ひの一つの形であり積極的な希求する感情であったが、古今集においてはその感情は「思ふ」であり、心の中に重く(思ふ)感じるという内面的なものとなる。中西進によれば、この「思ふ」という言葉の使用は9世紀以降、12世紀おわりくらいまで、圧倒的に増える。(9)

 端的に、古今集の意識は事物を見据えていないのであり、意識は内面を思うのである。

 唐木順三は、万葉集において相当数の頻度をもつ「見れど飽かぬ」「見つつ偲ふ」「見れば清けき」等は古今集に至って全く姿を消してしまう、「見る」「見ゆ」という動詞もほとんど使われていない、と指摘する(10)。

 古今集においては「眼」に代わって「心」が、「見る」にかわって「思ふ」が主役となるのである。このことは古今集的態度を象徴的に表している。

 又、一般には主語がしばしば欠落することを日本語の特徴とされる中で、和歌においてはおびただしく一人称が用いられている。これは万葉集においてもしかり、しかし、古今集においては「わ」は140例、「われ」81例あり、頻度として万葉集以上である(11)。このことは和歌において、特に古今集において自我意識が強く、そしてその意識が内面を向いていることがわかる。

 ただし、このことをもって直ちに近代的自我を想定するわけにはいかない。古今和歌集の「われ」は個性の弱い共同主観であり、したがって内面といえども、近代的個人の内面ではなく、共同幻想的内面世界である。


*内部空間と言語

 フロイトは次のような書き方をしている。

「内的知覚の外部への投射は原始的なメカニズムであって、たとえばわれわれの感覚的知覚もそれにしたがっており、それゆえに、通常われわれの外界の形成にはそれが最も大きな役割を占めている。・・・抽象的思考言語が形成されてはじめて、つまり、言語表象の感覚的残滓が内的経過と結びつくことによって、内的過程そのものが次第に知覚可能となったのである。そのときまで原始人は、内的知覚を外部に向かって投射することによって、外界の像を展開させてきたのであったが、いまやわれわれはこの像を、強化した意識的知覚を用いて心理学のなかへ翻訳しなおさなければならないのである。(12)」

 この独特の表現の中に、フロイトは、「抽象的思考言語」が形成されてはじめて内的経過そのものが次第に知覚可能となった、と指摘している。形成され、発見される内面とは、「抽象的思考言語」によってもたらされる、とフロイトは言うのである。

 その本質上、言語は常に、既に知覚の次元から逸脱している。その意味で、すべての言語は抽象的思考言語でありうるが、仮名文字はフロイトの言うところの「抽象的思考言語」の性格を明確化したのである。

 書かれるということによって言語表出は、自己像を成立せしめ、さらに対象化された自己像が、自己の内ばかりでなく外に自己と対話するという二重の要素が可能になる。この二重性こそ内面の自覚の要素である。

 日本における文字の使用は非常に複雑な歴史を持っている。表意文字である漢字の中国語(漢文)の使用と訓読みの発明、変体漢文と万葉仮名である。平仮名、片仮名が広く用いられるようになるまで、日本語の書記法は、この漢文+万葉仮名であった。

 太安万侶は古事記の序文において、次のように記している。

 「訓に依りて述ぶれば、詞は心におよばず。全く音を以て連ぬれば事の趣更に長し。是を以て、今或は一句の中に音と訓を交へ用い、或いは一事の内に、全く訓を以て録しぬ。」

 片仮名は漢文学と漢思想の専門的教養が一つの略記を生み出したという次元で考えうるものであるが、平仮名の成立は、漢字を表音的に使う書記行為が、いわば習慣のように流布されていたことの一つの象徴をなしている。

 習慣と同じように広く深く流布していたため、必然的に崩しによる速度を得ようとし、いわば話すことと同じような速さに、漢字の表音書きの速さを近づけようとする契機に根ざすものであった(13)。

 又、それまで、享受する側においては、目で読むものとしての歌は、漢文に堪能な、ごく少数の官人のものにすぎなかったものが、平仮名の和歌は目で読むものとしての歌が一般化したことを意味する。

 こうして仮名文字はフロイトのいう「抽象的思考言語」となり、「内的過程の知覚」つまり内面への意識を準備した。仮名文字で書かれた古今和歌集はその中心である。また、内面の表現である日記文学という形式の初めは土佐日記であり、それは古今和歌集の編纂者と同一人物の手になることを思い起こすべきである。



(5)ギーデイオン:建築その変遷、永遠の現在
(6)N,シュルツ:ゲニウスロキ、実存・空間・建築
(7)井上充夫:日本建築の空間
(8)折口信夫:相聞歌、恋の座
(9)中西進:日本人の心、P.126
(10)唐木順三:古今集における「思ふ」について
    及び王朝末中世初期に現はれた「心」への懐疑と否定、
    日本人の心の歴史所収
(11)中西進:日本の「私」ー表現様式を軸として、日本文学における「私」所収
(12)フロイト:トーテムとタブー、P.243
(13)吉本隆明:言語にとって美とは何か2、P.85




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