共生の文化


花鳥風月の場所論 1

1・花鳥風月の成立と現実の生活世界


 ここで 空間とは、我々の生きている生活空間のことである。

 しかし、空間という概念は元々日本にあったものではない。
西洋においても、アリストテレスにおいて、生きている空間性を、「空間」ではなく、「場所(トポス)」に基礎をおいた。

 ユークリッド幾何学が自然科学に応用されたのは近代以降である。それによって、我々を取り巻く生活空間さえ、一様で均質的な無限の広がりの一部である、というような観念は広まっていった。

 我々の生活空間の構成は、「空間」よりも、「場所」に基礎をおくものでなければならないのではないか。前川道郎(京大名誉教授)は建築的場所論研究会を発足させ、メンバーの多様な研究をまとめて、「建築的場所論の研究」(前川道郎編、中央公論美術出版、平成10年)として出版した。

 本論は、その中で私が執筆した論文に加筆したものである。


*古今和歌集における知覚的現前の不在

 古今和歌集は次の歌からはじまっている。(1)

 ふるとしに春たちける日よめる  
 1 年の内に春はきにけり ひととせを
   こぞとやいはん ことしとやいはん
   (春上 在原元方)

 この歌は古今集の歌の一つの特性を拡大してみせている。ここに歌われている「春」が、直観的な自然の姿ではなく暦上の春であり、歌の動機が暦の知識の上の遊戯であるという点である。

 この歌について和辻哲郎は次のように述べている。

 「もとより叙情詩に歌われる春は必ずしも直観的な自然の姿でなくともよい。暦の上でもそれが詠嘆さるべき感情を伴なっていさえすればよい。・・・(しかし)季節循環の不思議さに対してはもはや何らの感情をも抱くことのできなくなった心が、ただ立春の日と新年との食い違いを捕えて洒落を言ったに過ぎぬ。それは詠嘆ではない。」(2)

 春たちける日よめる
 2  袖ひじてむすびし水の こほれるを
    春立つけふの 風やとくらん
    (春上 紀貫之)

 題しらず
 3  春霞たてるやいづこ みよしのの 
    吉野の山に 雪はふりつつ
    (春上 よみ人しらず)

 二条のきさきの春のはじめの御うた
 4 雪のうちに春はきにけり うぐひすの
   こほれるなみだ いまやとくら
   (春上)

 これらは直観的な自然の姿を詠嘆したものではない。
 光景は冬である。しかし暦の上では春である。あの思い出の水の凍ったものを春風が融かす光景は眼前の光景ではない。かつてその世界に行ったときの記憶としてよみがえるというかたちで捉えられている。水、山、雪は眼前に直視されているのではなく、春風、鴬の鳴き声は実感されていない。

 水、山、雪、春風、鴬のうちに深く浸り入るのではなく、むしろそれらを内容の固定した概念のように取り扱っている。鴬の声を悲しみで泣いていると聞くことはほとんど不可能であるから、鴬→鳴く→悲しく泣く→涙→寒さで凍る涙、という連想は実感としては空虚である。

 つまり、春の実感はどこにもないのである。身体に直接感ぜられない春が、ただ想像の中に思いやられている。水、山、雪、鴬はここでは想像の中の「春というもの」に思いを馳せるための、いわば美的記号である。

 この特徴は古今集に一般的であり、日本の表出史上の、少なくとも書かれた言語としてはじめて獲得した記号性である。万葉集の歌が常に直観的な自然の姿を詠嘆し、その詠嘆に終始するのと対照的である。古今集の自然とはサルトルの言う非在のイマージュである(3)。古今集は知覚的な現前を呼び起こさないのである。


*現実の生活世界と古今和歌集の世界

 古今和歌集の歌の詠まれた時代はほぼ平安初期から十世紀初期までとみてよい。そこに詠われている地名は万葉集のそれに比して数量的にも地理的広がりにおいてもはるかに小さく、地名は奈良、京都に片寄っている。
天皇・貴族の生活の地理的広がりは小さかったと思われる。

 九世紀を通じて京戸が口分田による農業生産から離れ、商工業などに従うようになることと相俟って、平安京に都市的実態をもたらし、一方で各種の都市問題をもたらした。都人は、ここではじめて生産手段としての土地から文字どおり切り離され、最初の都市型祭礼である京都各所の御霊会も始まり、ここに都鄙意識が成立し、したがって、ここにはじめて都市が成立したということもできる。

 疫病流行は典型的な都市問題であり、それを慰撫する九世紀後半の各所の御霊会は日本最初の都市型祭礼であったと思われ、摂関期は貴族の精神生活が怨霊、もののけによって最も深く支配された時代だと考えられる。

 しかし、ここで、このような都市化の進展は人々を土地、自然から疎外し、そのことが自然を希求する心を育てていった、と考えてよいのであろうか。

 たしかに日本の伝統の自然美である「花鳥風月」はちょうどこのころに編まれた古今和歌集において成立したのである。しかし、さきにみたように美的自然であろうが祟る自然であろうが、古今和歌集の歌にはむしろ眼前の自然を直視、直観する姿勢はない。万葉集の歌が常に眼前の自然の姿を直感的に詠嘆し、その詠嘆に終始するのと対照的に、古今和歌集の自然は非在のイマージュなのである。実在の自然を求めているのではなく、むしろ非在の自然を求めているのである。

 非在の感得に向かって研ぎ澄まされた彼らの意識は内面への意識である。

 ところで、自然を知覚することと自然のイマージュ心像を持つこととはどう違うのだろうか。

 私は吉野の桜をありありと想像する。その香り、色、それをとりまく空気の全体を身にまとうことすらできる。しかし、その想像の桜の木の裏側に回るとそこに予期せぬ虫くいを発見するということはない。虫くいがあったとすれば、それを私があらかじめ想像したからである。

 現実の桜の知覚の場合は、観察によって予期せぬ新たな発見があったりするが、想像にはそのようなことはない。 その意味で、知覚は常に外へ向かって開かれているが、想像は我々の抱く意識の外に出ることはない。創作においてはこれは大きな問題であり、正岡子規らが古今和歌集とその伝統に縛られた和歌の世界を批判したのはこの点でもある(4)。

 しかし、一方、このことは同時に想像が知覚のように受動的ではなく、イメージをみずから生みだし、保持する自発性を持っているということをも意味している。知覚にしても、我々はありのままの現実を知覚しているわけではなく、知覚そのものが様々な先入見、偏見に満ちたものであることは現象学が既に明らかにしたところである。知覚にあらわれていないものを補い、あるいは新たな現実の捉え直しのためには知覚に現れていない現実を現前させる想像力を必要とするであろう。というよりも、知覚とはそのようなあり方でしかあり得ないのである。

 以上、古今和歌集の一つの特徴をサルトルの想像力論を借りながらここまで辿ってきたが、想像力論を深めるためにはここでサルトルを離れなければならない。

 想像することは、サルトルの言うような知覚と対立するものではないし、さらに、想像は意識の中に閉じられたものではなく、フロイトから、ラカン、クリステヴァが考察したように無意識の領域から湧き上がる次元を持つからである。ただし、このことの考察をさらに進めることは本論の目的ではない。

  • (1)古今和歌集のテクストは岩波書店刊日本古典文学大系を使用する。 
  • (2)和辻哲郎:万葉集の歌と古今集の歌との相違について、和辻哲郎全集第四巻、P.74
  • (3)サルトル:想像力の問題
  • (4)正岡子規:歌詠みに與ふる書







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