茶道の身心空間


Analysis of the Tea Ceremony System 6

茶道のシステム分析 6


6・茶道における自然と空


10 止揚された自然としての茶空間

 ジョアン・ロドリゲスは次のように書いている。
「その(小間の茶室)中に、狭い場所の許す限りに田園にある隠者の家の風をあらわした。
すなわち、人里を離れて隠棲し、自然の自称やその根本の原因について思索する、遁世者の庵を模したのである。…この町(堺)の人たちは、これをもって町の周囲に爽涼閑居の場所のないことの補いとした。いやむしろ茶湯のある流儀では、この様式が純粋の閑居にまさるものとみている。そこで町のなかでそれを発見し楽しむことを、「市中の山居」という*37。」

 侘び茶が求めていたのは野生としての自然ではない。都市化の中の自然である。しかし、これは単に飼いならされたdomesticated自然ではない。インスタレーションとしての自然と、それに呼応する茶湯のパーフォーマンスの共働によって、コスモスとの一体化が目指されているのである。それへの深まりとともに、自然は以前とは違ったものとして茶人に迫ってくる。 

 しかし、それらは木や水や風であることを抜け出てしまうのではない。日常性が止揚され、しかも日常性に留まるのである。このことを通じて茶人は深く癒されてゆく。利休の言う「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てゝのむばかりなる本を知るべし」とは、こうして止揚された日常である。恣意的につくられたものでもなく、また野性の日常性でもない。

 谷川徹三は、茶道におけるこの止揚された自然を「芸術を超えた自然」と表現し、「芸術以前の自然」と区別した。その上で、谷川は茶道そのものをハレと位置付ける*38。

 たしかに、我々の生活は折口信夫の言うようにハレ-ケ-ケガレのサイクルの中で息づいていると言える。しかし、利休の茶は非日常のハレを志向しているのではない。
ハレ-ケ-ケガレのサイクルの単なる繰り返しではなく、スパイラルの運動であり、止揚し続けるその運動の中に安住する静寂である。これを厳密な意味で「解脱」と呼びたい。


11 仏教と茶道

 黒川紀章は「侘び」と「無」について、次のように述べる。

 「「佗び」の美意識を無の美学と解説すること自体にも、曲解があるのではないか。…実は「佗び」の美意識を調べていくと、そこには、無と有、無飾と装飾、簡素と華麗、闇と光の共生する美意識、日本のもうひとつの伝統としての共生の美学を発見することができる。…
(『南方録』によれば)花紅葉の華麗な美をよく知っている人でこそ、はじめて、枯れ尽きたとま屋の風情に「佗び」の美を感ずることができるのだという。これが、何もない無の美学であるはずはない。華麗な花、紅葉を思いつつ枯れ尽きた草庵の風景を眺めるという、二重のコードを持った美意識なのである。*39」

 黒川紀章は、侘びの中に二重コードという意識構造の中に発生する、共生の美学を見抜いている。しかし、侘び茶のもとづく「無」とは、何も無い、という意味ではない。「無」とは仏教で言う「悟り」、つまり大乗仏教における「空」の体験を指していると理解しなければならない。それはむしろ、物が物になる生き生きとした実感のある場所であって、「無の場所」(西田幾多郎)は共生の場所なのである。

 ともあれ、禅の思想は、元来、しつらいやふるまいをデザインすることを排除するものではない。また、多くの誤解があるように、坐禅は忍耐を強いるものではない。道元自身「坐禅は静処よろし。坐蓐あつく敷くべし。風烟をいらしむる事なかれ、容身の地を護持すべし。…冬暖夏涼をその術とせり*40。」といい、坐す所の快適性を整えることを説いている。

 ただ、どのような状態を快適と感じるか、これは身心のあり方によって変化していく。低次元の身心のあり方によって欲求する快を求め不快を避けることが深い癒しにつながるのでは決してない。しかし、これを抑圧し、ただ忍耐を自らに課すことは、又、座禅の精神とは反対方向を向いているのである。

 岡倉覚三は、茶を「唯美主義の宗教(a religion of aestheticism)*41」と書き、また、利休は「小座敷の茶湯は第一仏法を以、修行得道する事也*42」と言い、
また「宗易(利休)道陳ハ禅法ヲ数寄ノ師匠ニス」(茶器名物集)「水を運び薪を取て湯をわかし、茶を立て仏に備へ、人にも施し我も呑なり。花を立て香をたきて、皆々仏祖の行ひの跡を学ぶなり」という言葉など、禅修行の心持ちと少しも変わらない。

 それにしても、侘び茶のインスタレーションとパーフォーマンスのデザインについては禅的、というよりも密教的と言うべきかもしれない

 草庵茶湯のような重畳的な結界の空間構成は密教によって特に発達したものである。飛鳥、奈良時代の寺院に結界はなかった。人を迎え入れるための空間としての外陣がつくられるのは平安時代の密教寺院においてである。その結界は、境内から修法道場を区切る壇上結界まで幾重にも及ぶ。この構成は侘び茶の空間構成と同型であるとみてよい。また、密教寺院で行われる触香や塗香、清水による身体の浄化は、それぞれ茶道における香の扱いと、蹲踞による浄化に対応する。

 さらに、密教寺院は、修法体験するための暗闇の空間をはじめてつくり、そこに灯火による光の効果と法具による色と音の世界を出現せしめた。これは茶室の陰翳空間と茶道具のインスタレーションに相当する。また、密教における修法の中心構造は本尊を招き、もてなし、本尊と一心同体となることから成るが、茶道では亭主と客の関係がこれに相当する。

 このような同構造のインスタレーションとパーフォーマンスの全体によって実現される自己の変容状態を、密教では入我我入と呼び、茶道では主中賓・賓中主と呼んでいるのである。



(37) ジョアン・ロドリゲス:日本教会史、大航海時代叢書、池上岑夫訳、岩波書店、1991
(38) 谷川徹三:前掲
(39) 黒川紀章:花数寄、建築論Ⅱ意味の生成へ、所収、鹿島出版会、1990
(40) 道元:正法眼蔵、坐禅儀、水野弥穂子校閲、岩波書店、1993
(41) 岡倉覚三:前掲
(42) 南坊宗啓:前掲





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