茶道の身心空間


Analysis of the Tea Ceremony System 5

茶道のシステム分析 5

5・茶道の空間性3

8 human bubble と茶室空間

 巧者の点前には少しもてらいがなく、一見日常の所作とかわるところがなく、それでいて美しい。茶人はその点前において、茶器や茶杓といった茶道具に「棲み込んでいる」のである。

 ここで言う「棲み込み in-dwelling 」とは、M.ポランニーの概念である*26。例えば盲者が手の延長として杖を操ることができるのは、その杖の先に棲み込んで in-dwelling いるからである。 

 我々が生きている実感とは、この棲み込むということに他ならず、我々は杖や茶道具のみならず、状況に棲み込む。この棲み込まれた身体によってはじめて体得される知の広大な領域を、ポランニーは暗黙知 tacit knowledge と呼び、言語や論理などによって明示される顕在知 explicit knowledge を支えているものであることを 明らかにした*27。

 茶道におけるインスタレーションとパーフォーマンスは、この棲み込みのためのひとつのシステムであって、利休は、この棲み込みを佗びの精神のもとに統合したのである。利休の作意は露地、茶室、茶道具の全般にわたる。これら佗びを導くインスタレーションと、佗びに向けての茶の作法によるそれへの棲み込みによって、茶人は佗びという状況に棲み込んでいくのである。

 西田幾多郎は、身体を「自己自身の内に自己表現的要素を含んだ組織」と規定し、「その身体を貫いている知的直観的論理は手に表われ、その手は弟子である眼を従えて理解の器官へと特殊化する」、と述べる*28。茶のお点前の美は、この in-dwelling の自己表現に依っているのだ。

 in-dwelling も SYSTEM/1 と SYSTEM/2 の重なりの場所に生起する現象であり、茶道のパーフォーマンスとインスタレーションはこのin-dwellingの変容を導くシステムなのである。

 in-dwelling こそ人間自身の身体的空間性なのだが、E.T.ホールの見出した human bubble とは、この棲み込みの空間性の一つの表われである*29。

 茶室に亭主と客が対坐する時、坐はまず畳によって規制される。畳は身体寸法に基づいているが、実はこの身体寸法には二つの意味がある。ひとつは客観的身体の寸法であり、ある作業を行う時に動かす身体の寸法であり、他の一つは human bubble の寸法である。亭主と客は各々の human bubble を畳が包含してくれる居ずまいの良さを感じつつ坐す。客のもつ扇子は human bubble をコントロールする。扇子が膝前に置かれるとそこに human bubble の領域境界が生じる。膝前に置かれた扇子を自分の後ろに下げると、膝前の領域境界は取り払われ、human bubble が前方へと延び広がるためのセッティングがなされたことを実感する。亭主は茶を点てるという行為における冥想的気分の深まりとともに human bubble が延び広がっていくのを実感する。この両者の変容は共働的に行われ、両者は広大な気場に包まれていく。

 この身体空間の拡大は、ヨーガで言う静慮に対応しており、マクロコスモスの身体化を目指す。ミンコフスキーが、「われ存(あ)り」「われ有(も)つ」「われ属す」という人間存在の三階梯の入れ子構造原理の中で、自我から光束を発し、次第にその周りに放射状かつ同心円的に広がっていき、自我から遠ざかるにつれて、より広い世界を照射して、ついには逆に自我が宇宙に包摂される、と表現する事態はこのことであろう*30。

 待庵の内部は、たった二畳であることをすっかり忘れさせる。一隅の柱を消して、壁を塗り回し、天井を三つに区切り、その一つを化粧屋根裏にして低圧感を解消させ、全体の暗さとともに驚くほど広い空間をつくり出している。このようなインスタレーションに導かれ、他方、自身の茶湯のパーフォーマンスによって、身体空間は拡大し、マクロコスモスに棲み込んでいく。このことを、『維摩経』は、維摩がマンジュシリー(文殊師利菩薩)と八万四千の仏陀の弟子を四畳半、十尺四方の狭小空間に迎え入れる、と表現している*31。四畳半という空間が冥想のインスタレーションとして働き、そこでの冥想の深まりはマクロコスモスへの棲み込みを実現する。そうして、八万四千の人々と共にいる、という実感がもたらされるのである。


9 茶室の陰翳と「観る」こと

 佗び茶の閉鎖的で暗い空間が、癒しに適切なインスタレーションたりうるのだろうか。
谷崎潤一郎は、この種の暗さが冥想のインスタレーションでありうることを、次のように指摘している。

「ピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもをりをり風のおとづれのあることを教えて、そぞろに人を瞑想に誘ひ込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云ふものがなかったなら、蝋燭や灯明の醸し出す怪しい光の夢の世界が、その灯のはためきが打ってゐる夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであらう。まことにそれは、畳の上に幾すぢもの小川が流れ、池水が湛へられてゐる如く、一つの灯影を此処彼処に捉へて、細く、かそけく、ちらちらと伝へながら、夜そのものに蒔絵をしたやうな綾を織り出す。*32」

 陰翳が冥想的でありうるためには、陰翳のインスタレーションが必要なのである。

 オットー・ランクは、草庵茶室のように小さく薄暗い部屋や穴倉や洞窟などに休息や平安を求めるのは、人がその誕生以前の母胎内の平安を無意識裡に求めるからだとする。
彼によれば、エディプス神話が物語るのも、不安を克服しようとする衝動=胎内復帰衝動が無意識裡につくりあげたものである*33。この現象が、無意識裡における発達段階の逆行願望に根差すとすれば、それに適切な意識の筋道を与え発達段階を逆に辿る、という我々の発見した東洋的冥想の共通の方法論を、ここにも見出せるのである。したがって、この意識の内に逆に辿るということは、退行ではなく昇華のプロセスであり、元に戻るのではなく、スパイラル運動だ、ということである。

 利休は、それまで北向きが慣例であった茶室を南面させたことで知られ、閉じると全く光を通さないにじり口を案出した。これらは明るい南面から茶室ににじり入った時の暗さの体験を演出する。しかも、待庵茶席の南壁に横長にうがたれた明かり窓と連子格子、そのうえの大きな庇、また東の下地窓、鳥の子紙を廃しての荒壁など、様々に陰翳の仕掛けがなされている。

 暗さは、端的には視覚の制限である。しかし、それは単に物が見えにくくなることではなく、別の世界が見えてくる事でもあるのだ。利休も、「茶具真ニ見ユル」よう「強ク明ルクナキ程(池永宗作茶書)」にとされてきた茶室の明るさの条件をさらに追求したものであって、ものを見えにくくしたのではなく、むしろ逆に、よりよく見えるようにしつらえたのである。

 ここで、通常言われる「見る」ことと異なる、ものの見方が要請されていることに気づかねばならない。M.ポランニーは暗黙知の構造を、主点的 focal な注視と、それを支える従遠的 subsidiary な地図として、言い換えれば、身近な部分的個別的 proximal な眼と、それを支える、全体的統一的 distal な眼として捉えた*34。利休が追求したのはこの distal な眼なのである。このdistalな眼は身体性の全体が関わっており、静慮から三昧の冥想段階においてその全体性は最大となる。

 宮本武蔵はこの二つの眼を「見」の眼と「観」の眼と呼び、区別している。立ち会いの際、「観の目強く、見の目弱く見るべし*35」と言う。また、世阿弥が、「能を見ること、知るものは心にて見、知らざるは目にて見るなり*36。」と言い、心に訴えかけてくる全体性を捉えることが、「無心の見」あるいは「離見の見」と表現するのも同じことである。


(26) M.ポランニー:暗黙知の次元、佐藤敬三訳、紀伊国屋書店、1980
(27) M.ポランニー:前掲
(28) 西田幾多郎:生命、哲学論文集第七、岩波書店、1989
(29) E.ホール:かくれた次元、日高敏隆訳、みすず書房、1996
(30) ミンコフスキー:生きられる時間、中江育生他訳、みすず書房、1982
(31) 維摩経:新国訳大蔵経、維摩経、高崎直道、文殊経典部2、大蔵出版 1993
(32) 谷崎順一郎:陰翳礼賛、谷崎潤一郎全集、中央公論新社、1967
(33) オットー・ランク:英雄誕生の神話、野田倬訳.、人文書院、1986
(34) M.ポランニー:前掲
(35) 宮本武蔵:兵法三十五箇条、目付之事、五輪書所収、渡辺一郎校閲、岩波書店、1985
(36) 世阿弥:至花道、世阿弥・洞門禅文学集、/飯田利行訳、国書刊行会 2001






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