茶道の身心空間


Analysis of the Tea Ceremony System 7

茶道のシステム分析 7


7・まとめ

 我々の用語に従って以上を整理すれば次のようになる。

*侘び茶の客
  Hg=f(pg,ig)
    Hg:侘び茶の客の癒し
    f:侘び
    pg:客の粧い(茶名、十徳、扇子)、振る舞い(茶湯の作法) 
    ig:露地、草庵茶室、茶室のインテリア(花、掛け軸、香、他)

*侘び茶の亭主
  Hh=f(ph,ih)
    Hh:侘び茶の亭主の癒し
    f:侘び
    ph:亭主の粧い(茶名、十徳)、振る舞い(点茶の作法)
    ih:草庵茶室、茶室のインテリア(花、掛け軸、香、他)

*侘び茶の対坐
  Hd=Hh×Hg=f(ph,ih)×f(pg,ig)

 Hの実現のとき、p=i の現象学的な体験が生まれ、
その境地は、主中賓・賓中主と呼ばれるのである。

 利休の侘び茶は、東洋的冥想の持つ癒しのシステムと共通の構造を持ち、それを人間同士の主と客の共働として行い、それによって主-客二元をこえていくものなのである。到達されるべき癒しの境地は東洋的冥想のそれと少しも変わらない。
本稿によって、そのためのインスタレーションとパーフォーマンスの内容と、その関係が同時に明らかにされた。

 侘び茶の癒しの特色は対坐にある。侘び茶における対坐とは真の自己self(ユング)を見出す場所にほかならない。もし仮に、自分にとって大切なこの人と会えるのはこの時、限りかもしれない、というとき、一体何ができるだろうか。心の底からもてなし、相手は心の底からそれに答える。それは自分のためでありまた、相手のためでもある。しかし、実は自分と相手という境界を越えたところにのみ成立する境地なのである。ここに心の底としての自己は見出される。こうして、癒すことと癒されることは同時に起こる。

 現代人の人間関係は希薄である。しかし、だからこそ一方で、人は癒しを求め、出会いを求めてもいる。残念ながら、現代の茶会は多くの場合、そこに侘びの精神が正しく生きているとは言いがたい。

 本論では利休における侘び茶のシステムを抽出した。このシステムに様々なフォルムを与えることは可能である。それによって、侘び茶が再生されるはずである。
と言うよりも、その都度、再生されなければならない。守破離とはこのことである。
このことは、利休自らが追求した侘び茶の自由と完全に一致する。

 茶を喫するというただそれだけのことが、最も深い癒しへと導かれる。
それは愛に裏打ちされ、美へと表現される。
本論はその構造的なプロセスを明らかにした。






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