茶道の身心空間


Analysis of the Tea Ceremony System 3

茶道のシステム分析 3

3・茶道の空間性1


5 出会いの場所としての茶

 熊倉功夫は、芸能を成り立たせる次の4つの要素を指摘している。第一に、人びとを非日常的世界へ誘う変身の術である「粧い」。第二に、変身した新しい人格としての「振る舞い」。第三に、そのための道具や舞台である「しつらい」。第四に、これらの要素を統合する美意識、思想である「思い」である*15。

 茶湯についていえば、茶人は十徳をはじめ独特の着物を着き、茶湯だけに通用する名乗り(茶名)をもって自らを粧う。茶人が必ず手にする扇も粧いの一つである。茶室に入ると人びとは点前と作法に従う。これは茶湯が生んだ「振る舞い」の型である。茶湯の生んだ茶室という舞台、露地というアプローチ、茶道具、これらは「しつらい」に当たる。そして、侘び茶の場合、これらを統合する思想が「侘び」である。

 岡倉覚三は、「茶の湯は、茶・花卉・絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった*16」といい、谷川徹三も、主客を演者と観客、会記を台本に見立てて、茶湯の芸能的性格を指摘する*17。亭主は演者であるが、客は単なる観客ではなく、茶事の一端をになう演者でもあって、そこには見る者と見られる者の対立がない。これはパーフォーマーをプラクシス(実践者)、観客をテオーリア(眺めること)と見る西洋の古代ギリシャ以来の伝統とは全く異なっている。

 そのような演技として、「亭主フリノ事」(亭主としてなすべき所作・心得)や「客人フリノ事」が要請され、「一座の建立」のために、「第一、朝夕寄合間ナリトモ、道具ヒラキ、亦ハ口切ハ不及申ニ、茶湯ナリトモ、路地ヘ入ヨリ出ルマテ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ可敬畏、世間雑談無用也」といった、茶湯の精神性が求められ*18、この演劇性は井伊直弼の「一期一会」という境地に結実していく*19。

 紹鴎の茶室において、炉をはさんで主客が対坐するようになる。このことによって、この演劇にふさわしい舞台が構成されるようになった。広間が一貫してハレの場たることを主張するのに対し、小間はますます縮小化の道を辿り、侘び人の行住坐臥にふさわしい最小の空間へと向かった。

 利休の待庵は、二畳の茶室である。二畳といえば、亭主が茶を点てるための坐一畳を除いて客に許された空間はわずか一畳にすぎない。日常性は変質を余儀なくされ、作法にはかえって非日常的な身(動作)、口(呼吸、発話)、意(意念の扱い)が要求されることになった。そして、この非日常性が「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てゝのむばかり」と利休の言う、新たな日常性、新たな自然性へと止揚することによって、侘び茶という即興劇は生まれ出るのである。

 この即興劇において、単に見物したり観察したりする眼は存在し得ない。利休の言う「直心の交わり」とは、そういう者どうしが茶室空間の中につくり出す、共存在のことである。
この主客一如の共存在性は、茶道では「主中賓」「賓中主」という言葉で呼ばれる。

 こうして茶道は日常的自我egoの変容を共働的におこなうものであって、クリニカルな効果をもちうるのである。



6 茶室のトポロジー

 露地から茶室へといたる空間デザインはユークリッド的ではなく、トポロジカルである。待合、中門、腰掛待合、蹲踞、にじり口といった結節点を飛石がつないでいく。

 利休においては、飛石について「渡り六分、景四分」であるから、よりトポロジカルな近接分離関係が重要であり、視覚的要素よりも運動的要素に重点が置かれる。飛石は自然石であって、整形されたタイルのように置いていくことはできない。

 飛石の置き方について古来より「あいばのなじみ」ということが言われる。「あいば」とは飛石と次の飛石との合端、関係であり、「なじみ」とはその両飛石の連結の感覚的つながり、つまりゲシュタルト性を指す。こうして「歩」がなめらかに誘導され、結節点においては、くぐる、腰掛ける、つくばう、にじる、といった動作に基づく心理的結界が構成される。

 K.レヴィンの topological psychology *20の概念によって説明すれば、待合、中門(くぐり)、腰掛待合、蹲踞、にじり口等を topological boundary として、それらを結ぶ道 hodos を辿って茶室というgoalへとむかう、hodological space の体験である。この体験を通して徐々に深い心身の安定を実現していくのである。

 J.ピアジェは、人間の発達段階において獲得する空間概念は、位相的空間、射影的空間、ユークリッド的空間の順である、という*21。つまり、茶道におけるトポロジカルな空間体験は人間発達の初期の感覚へと導くものである。

 われわれは別稿において、東洋的癒しの技術が人間の発達段階を逆に辿る、という共通の傾向をもつことを指摘した*22。茶道におけるトポロジカルな空間体験もそのような志向のひとつと捉えることができるだろう。ここで、発達を逆に辿るとは、もちろん生物学的時間を現実に逆行することではなく、大人のうちにも存在する乳児や幼児の元型 archetype(ユング) を回復させて、心の全体性 psychic totality を達成しようとすることである。 

 にじり口は茶道空間における topological boundary の最も強固なものである。客は坐しつつ移動するという特異な動作である「にじる」という行為によってこの boundary を越え、お詰めは入席直後、掛け金でにじり口を閉じてしまう。極小の穴を潜り抜けることは新しい生命力を付加され、生まれ清まる儀式であり、潜り抜けた向こうは茶室という神聖な異空間であることを暗示する。

 ダンテの『神曲』において、彼が精神的にきたえられる場所は狭くなっており、にじって前進せねばならなず、しかも、そこには聖母像が描かれている。また、キリスト教のバイブルでも、心をつくして狭き門よりはいれ、とさとす。このようにして、聖地に至る入り口が狭いというのは、ほとんど世界共通の聖所への入り口のイメージである。

 こうして、茶道のトポロジカルな空間は聖なる空間に向かう hierarchical order を構成しているのである。



(15) 熊倉功夫:前掲
(16) 岡倉覚三:茶の本、村岡博訳、改版(第38刷)、岩波書店、 1961
(17) 谷川徹三:茶の美学、淡交社、1977
(18) 山上宗二記、桑田忠親:山上宗二記の研究、河原書店、1985による
(19) 井伊直弼: 茶湯一会集、井伊直弼茶書 1所収、灯影舎、1988
(20) クルト・レヴィン:社会科学における場の理論 、
   猪股佐登留訳、増補版、誠信書房、1979
(21) J.ピアジェ:思考の誕生、滝沢武久訳、エピステーメー叢書、朝日出版社、1980
(22) 中島康、他:東洋的冥想とその場所づくり、
   明石工業高等専門学校研究紀要第43号、2000






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