茶道の身心空間
Analysis of the Tea Ceremony System 2
茶道のシステム分析 2
2・癒しとしての茶道のパーフォーマンスとインスタレーション2
2 癒しの茶道におけるH=f(p,i)
我々は既に心身システムを2つのシステムの重なり合い、と仮設した*9。
SYSTEM/1 心身関係の表層構造=大脳皮質-感覚・運動
回路-外界知覚・運動感覚(含、 体性系内部知
覚)・思考作用
SYSTEM/2 心身の深層構造=脳幹・大脳辺縁系-自律神経
系-内臓諸器官-内臓感覚・情動
この仮設にもとづけば、SYSTEM/1とSYSTEM/2からなる構造の全体をphysicalな面から見れば身体が、mentalな面から見れば心が、あらわれる。又、我々は別稿で、仏教の修行にもとづき癒しのパーフォーマンス(p)とインスタレーション(i)をまとめ、さらにその構造がインド的冥想、中国的冥想より広い枠組みでも妥当することを概略的に検証した*10。それらの全体は身・口・意のperformanceとinstallationとの適切な相互作用によってSYSTEM/1とSYSTEM/2をより深く関係づけ、心身の安定を得る。現象学的体験としては、心身は癒しの深まりとともにp=iへと導かれる。
SYSTEM/1とSYSTEM/2の重なりの一つは習慣的身体である。我々は日常的に歩いたり坐したりする行動を幾分自覚的に、しかし同時に行動の細部については幾分無自覚に無意識的に、あるいは条件反射的に行っている。従って、この習慣的身体は皮質系と自律系をつなぐものであり、習慣的身体のある種の改変がSYSTEM/1とSYSTEM/2を深く関係付け、癒しを実現する可能性を持っているのである。
この観点から見て、茶道とは、亭主は点茶という坐のパーフォーマンス、客は露地をゆく歩のパーフォーマンスと茶をいただく坐のパーフォーマンスの複合、これらを共働で行うものである。そして、そのそれぞれに身、口、意の要求が茶道の作法という型として確立し、露地、茶室、茶器等のインスタレーションとして空間化される。利休の追求した茶道は我々の定義する癒しそのものであるから、我々の仮設に従えば、茶道の中に癒しの共通公式H=f(p,i)が見出され、同時に茶道独特のfとpとiとが見出されるはずである。
3 茶道における「歩」のパーフォーマンスとインスタレーション
二本脚で立ち、歩くということは何と不安定なことであろうか。我々の体型をもって直立することで重心は非常に高くなり、不安定な力の釣り合いが常に維持されなければならない。にもかかわらず我々は普通特に意識しなくとも倒れることはない。歩くということは我々の言うSYSTEM/1、SYSTEM/2が非常に複雑に絡み合う場面なのである。
重力に抗して伸びやかに立ちあがった立像が万物の尺度となるというのは唯一、神の似姿としてつくられた人間のコスモロジーであろう。このようなコスモロジーは東洋においては希薄である。西洋人の歩き方は、伸びやかに脚を伸ばし踵から着地する、と言われる。日本人は膝を曲げて歩く。漢字の「脚」の「去」は脚を曲げた形をあらわしているから、これは漢字文化圏の特徴といえるかもしれない。ブルーノ・タウトはレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図と日本人の体型を比較して、前者の身体の中心が腰にあるのに対して日本人は腹にその中心がある、と述べて、日本人の脚は大地から力を得ているようだ、と語っている*11。日本には、西洋のように立位の人体に寸法の比例関係を見ようとする傾向は希薄である。そして歩行の中心は腹、というより正確には臍下丹田である。能や茶道、武術の稽古において臍下丹田に気を込めるということは今日でも盛んに言われている。そしてそこでは摺足が基本である。
露地では飛石、蹲踞、中門などの仕掛けが、茶室では畳、床、釜の配置などの仕掛けが、「歩」のパーフォーマンスを導くインスタレーションである。
飛石は、歩幅と歩行速度を規制する。一般に、庭造りにおいて飛石は一足物の飛石を使って1間のうちに5個置くこと、ただし茶庭は1間に6個の飛石を置くこと、とされる。また茶室において畳を6歩(裏千家は半畳2歩)で越えるように教えられるので、客の歩幅は40センチに満たず、かなり狭い歩幅でゆっくりと歩くことを要求される。飛石はそれによって庭の景色を誘導するもの、と考えられることが多いが、千利休は飛石について「渡り六分、景四分」と教えているように、景色よりも歩行そのものをこそ重視していることに注意しなければならない。又、石は千家流では地面より二寸ほど高く据えるのがきまりになっているので、自然石の凹凸を吟味しながら慎重に歩かねばならなず、西洋的歩行法ではまっとうに歩けない。
利休は、露地の出入りに下駄を履くよう定めた紹鴎の考えに対して、雪駄に変えるほうがよいとする*12。雪駄によって石を感じ、石の凹凸に対応し、臍下丹田に気を込めることがより容易になったはずである。このことにより歩行の安定性は増し、膝がゆるみ、臍下丹田の高さは一定となり、背骨は真直ぐと立身中正になる。
歩行はリズムであり、このリズムによって自然な呼吸が誘導され、亭主との出会いの場への冥想的気分を用意する。
4 茶道における「坐」のパーフォーマンスとインスタレーション
茶道は正坐を基本とする。正しい身、口、意の扱いによる正坐でなければ単なる苦痛となる。一時代前の日本人にとって正坐が日常の坐し方であったとは驚くべきことである。一時的な正坐はイスラム圏や中央アジア・古代ギリシアでも見られるが、日常的に正坐をしてきたのは日本人だけである。
正坐が一般的に広まった背景に、禅宗の建築様式を取り入れた書院造りの普及、畳の敷き詰め、茶の湯の流行、があげられる。禅宗の僧堂で発達した茶礼はやがて茶道に完成される。その過程は結跏趺坐(独坐)から正坐(対坐)への変化といえる。
畳は、語源は「たたむ・たたまる」であって、元々は折り畳める敷物であったが、足利義政の頃の禅僧の日記「蔭涼軒日録」のなかで、応仁の乱前には九間(18畳)の広間でも敷き詰めにするのが普通であったと述べているので、この頃には敷き詰められるようになっていたことになる*13。畳には微妙な反動があり、足場としては不安定であるが、正坐の姿勢は膝から下の部分に全体重がかかり、そこを圧迫するので、床が柔らかいという条件が必要である。
我々は点茶の動作分析を行ったが、上半身を前後に動かすことと、左右に腰を回すこととその組み合わせからなり、その間、下半身は常に安定した正坐を続けるのである*14。正坐は足に負担をかける上、必ずしも安定性が高いわけではない。従ってこのような点茶の動作を安定して行うためには、下半身をしっかりと畳の上に安定させ、上半身の力を極力抜いて、呼吸と動作を協調一致させる。さらにその動作を通じてより深い冥想的気分へと意識を導かなければならない。これらが一体となってこそ、侘び茶の思想にもとづくパーフォーマンスとなる。
(9) 中島康:癒しの場所づくりとしての密教の可能性、
H11年度、日本建築学会近畿支部研究報告集第39号、1999
(10) 中島康:仏教にもとづく癒しの場所づくり、
H12年度日本建築学会近畿支部研究報告集第40号、2000、
中島康、他:東洋的冥想とその場所づくり、
明石工業高等専門学校研究紀要第43号、2000
(11) ブルーノ・タウト:日本建築と日本人、ブルーノ・タウト著作集処収、春秋社、1950
(12) 南坊宗啓:前掲
(13) 太田博太郎:床の間、岩波書店、1978
(14) 中島康、他:東洋的冥想とその場所づくり、
明石工業高等専門学校研究紀要第43号、2000
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