茶道の身心空間
The Way of Tea

Analysis of the Tea Ceremony System 1

茶道のシステム分析 1

1・ 癒しとしての茶道のパーフォーマンスとインスタレーション 1


The purpose of this paper is to analyze Tea Ceremony especially Wabicha as healing system and to synthesize it towards our meditation method for healing.
We have already formulated the hypothesis that healing is the function of performance and installation, that is, H=f(p,i).
Therefore the analysis and synthesis of Tea Ceremony system are done based on this hypothesis.
In this study, our hypothesis H=f(p,i) is verified in Tea Ceremony system called Wabicha.
The followings are found out.
The healing system of Tea Ceremony is in common with general oriental method of meditation in point of the structure of the system.
And the state of healing in Wabicha has been explained based on Zen Buddhism, but the design method of performance and installation of Wabicha is rather based on Mikkyo esoteric Buddhism.



序 癒しとしての茶道の可能性

 本稿は茶道の中に癒しのシステムを見出し、それを現代生活の中に再評価して、癒しの技術として再構成することを目的とする。

 まず、ここで、我々は「癒し」を「心身の深い安定状態」と定義し、単なるリラクセーションや、生理的欲求の満足と区別する*1。

『南方録』*2「墨引」の巻に、「陰陽十一のカネ」の記載があるように、茶道のパーフォーマンスと、インスタレーションは型に従わねばならない。そして、その過程で最も避けられるべきは我意我執である。

 茶道修行は、その第一階梯においては、我慢我執を捨て、型に従うことであるが、究極的にはその型に従うことを離れることとなる。これによって到達するありかたを千利休は「心ノ一ツガネ*3」と表現している。心が一つの不動のものとなることである。これは、まさに我々の定義する癒し=心身の深い安定状態、そのものなのである。

 本稿は茶道の癒しを、既に提起した我々の仮設、H=f(p,i) *4の検証のかたちで進めるものである。



1 癒しとしての茶道と茶空間の成立

 栄西は『喫茶養生記』二巻を著し、道元は中国の百丈禅師の定めた『百丈清規』にならい、『永平清規』を選び、茶礼を制定した。一方、宋時代中国で闘茶の遊戯も生まれ、日本においても流行し、近江国守護大名佐々木導誉の闘茶のしつらいを「書院の七所飾」と呼び、茶の作法の基本となったとも言われる。室町時代中期、能阿弥はこの「書院の七所飾」を参照して「書院の台子飾」を制定した。能阿弥は小笠原流の礼法を参照しながら、今日のような作法を考案した。そこには能の舞の所作が多くとり入れられている、と言われる。

 村田珠光は一休禅師について参禅し、日常茶飯の茶湯の所作の中に茶禅一味の境地を見出し、この境地をもとに茶室や茶道具を改革した。能阿弥は広い書院座敷を用いていたが、珠光は座敷を四畳半に区切ってそれを屏風で囲った。

 彼は、書院式の茶湯から侘び草庵の茶湯への準備を様々に進めたが、武野紹鴎は珠光の理想とした侘び草庵の茶湯を完成させた茶人といえる。侘びは歌道上の理念となり、さらに紹鴎により茶道の極致を表す言葉となったものである。千利休は紹鴎を受けてさらに侘びを深めたのであるが、紹鴎の隠遁的な侘びに対して、利休の侘びは静けさの中に、ある種の活動力を秘めたものである。*6 

 書院の茶(殿中茶湯)は、唐風茶礼から脱却し、坐礼による茶会の方式の定立を意味した。その特徴として、唐物中心の荘厳の世界であること、茶事に遁世姿の同朋集が奉仕したことが挙げられる。書院は専用茶室ではないから、通常それに隣接するところに茶湯棚の備えられた茶の湯の間あるいは茶湯所が設けられ、そこで点てられた茶が座敷に運び込まれる。

 殿中茶湯の規式が成立したのは足利義教時代であろうとされ、*7このような広間の会所が小型化する中に茶室は出現してくる。その茶室が四畳半、三畳、二畳と小型化すれば当然茶礼のあり方に変化が生じる。会衆の人数も制限され、また茶室において亭主自身によって茶が点てられるようになる。この事実は会所・殿中における多人数の茶の否定という側面を持つ一方、むしろその純化という方向でもある。

 概して茶室の系譜は以下のようにまとめられよう。


  書院座敷(広間)  四畳半座敷   小座敷(小間)
    |        |       |
    真        行       草
    |        |       |
   能阿弥      村田珠光   紹鷗・利休
    |        |       |
   外向的<・・・・・・・・・・・・>内向的


 ここで「内向的」とは「自己の内面に向かう実践」のことである。現在の日常で多く行われている「広間の茶」は色彩豊かで、外向的で、内面に向かう実践の雰囲気は少ない。利休は「茶の湯は台子を根本とすることなれども、心の至る所は、草の小座敷にしくことなし*8」と言っている。我々は、我々の定義する癒しのシステムを、華やかで楽しい「広間の茶」ではなく、「侘び茶」の内向性の中に見出すことを目指している。


(1)中島康:癒しの文化としての密教の場所論、1997
(2) 南坊宗啓:南方録、西山松之助校閲、岩波書店、1998
(3) 南坊宗啓:前掲
(4) 中島康:前掲
(5) 布目潮ふう:茶経詳解、淡交社、2001
(6) 侘び茶の成立については、主に、熊倉功夫:改訂版、生活と芸術、
  日本生活文化史、1993、による。
(7) 村井康彦:茶・花・香の系譜、日本の古典芸能、第五巻所収、平凡社、1978
(8) 南坊宗啓:前掲





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