建築の現象学 Architecture


ウチとイへー日本の住空間の本質とは何か

ー ウチとイヘ ー


 本論は日本的住空間の本質とは何かを考察することを目的とする。そもそも空間、建築という言葉は明治初期に西洋語を翻訳するときに作り出された造語である。英語で言えばspace、architectureという言葉に相当する日本語が見当たらないので新たに造語されたのである。
 つまり、そのような概念が日本語になかったのである。いったん造語されれば、そのような概念のもとに日本の住空間、建築を理解しようとする。しかし、それは日本の「住空間」の本質を言い当てているという保証はどこにもない。むしろ大切な本質を見落としてしまっているのではないか。このような問題意識のもとで、この論文は書かれた。以下は、私が20歳代に日本建築学会に提出し、講演を行ったものをほとんどそのまま掲載している。


 われわれは、分けることに依って「わかろう」と努力してきた。
わかつためには分けなければならない。そしてまた、分けるためには前へ据えることVerstehen が必要である。このとき、前へ据えられるもの Gegenstand は、Verstand に向かい合っているのである。*1

 あるものを Gegenstand として前へ据えるとき、既に二つの面で分けることが行われている。即ち、一つは、あるものを対象として選び出し、他のものと区別して向かい合って立たせることのなかに既に、そのものと他のものを分けることが行われているからであり、他の一つは Verstand と Gegenstand が明確に向かい合って分かれているからである。

 そして、ここではひとまず このようにして「家」を分かろうとする。しかし、家とは単に分けられる対象 Gegenstand にとどまることはできないのである。


■内と外 ウチとソト

 分けることの最初は内と外との区別であると言われる。人間が適当な手段を講じて自己のやすらぎを見出す、そのやすらぎ Frieden は、既に、囲うこと Umfrieden であり、そこで現象するのは他ならぬ囲われた場所、つまり内側である。

 また、人間がその両者の緊張の中で住まうところの聖と俗とにおいても、Freud や Marett はラテン語の Sacer の禁忌の意味を手がかりとして、聖性とはそれに相対的な、一般的な世俗性からの分かれであるとする。Durkheim もまた聖的存在とは、その定義からして分けられた存在であり、一方その分離を維持するための消極的命令が taboo に他ならないと言う。

 神域を意味するラテン語の templum もまた、もとギリシア語の(sacred enclosure) temenos であり、tem とは切りとることであるから、templum とは本質的に切りとられそれによって分けられ区画された場所である。*2  

 このようにして、外なる世界の大きなひろがりから、ある特定の場所が分けられ、抜き取られる。そして同時に、そこに特別な意味が生ずる。しかし、このとき、その意味はもはや Gegenstand ではない。

 一般に、日本においては内と外とを区別する意識が特に顕著であるとされる。日常的にウチと言えば、囲いの中であり、屋根の下であり、国内であり、内裏であり、家庭であり、また、時間的には以内、範囲内の意味である。これに対して、ソトは戸外であり、室外であり、外部の人であり、時間的には、…しない先、範囲外の意をあらわす。

 大野晋は、ウチとソトの区別の意識は代名詞の用法や助詞の用法の上にも反映しているとする。

 代名詞については、ココ、コレ、コナタ、コチなどコ系の代名詞と、ソコ、ソレ、ソナタ、ソチなどのソ系の代名詞とがあるが、古くはコ系とソ系とは対になってはあまり使われず、コ系の代名詞は、カシコ、カレ、カナタ(後には、アシコ、アレ、アナタ、アチ)などカ系(後には ア系)の代名詞と対になって使われた。そしてコ系はウチを指し、カ系はソトを指すと言う。*3 さらに、コチ、ソナタ、ソチ、カレ、アナタ、などが、いわゆる近称、中称、遠称とも、いわゆる人称とも深く関わっているのである。


■ウチ、ウツ、ウツハ、イへ

 ウチの古形はウツで、ウツはウツフス(内俯す)、ウツバリ(梁、内張り)、ウツモモ(腿)などに見られる形である。ウツは独立形を残していず、ウチが奈良時代以後の形である。又、ウチがウツ(内)であるだけでなく、大言海によるとウツ(空)に通じるかと言い、日本語源学によると、ウチとはウツイ(空居)の義、うつろの真中の意とも言う。

 ウツは又、うつし心、うつし身、うつし世などと使われる、うつしの「し」は領格であったのが形容詞語尾になったものとされるが、うつし身とはすべてのひとの生命を統合した社会であり、うつし身とは現実生活を営んでいる體(カラダ)であり、カラ(空、殻)である。その中に魂が充ちている状態である。

 又、ウヅムとは空虚なところをいっぱいにすることである。このようなことばの意味を手がかりとして折口信夫は、ものが充ちている状態がウツであり、又ものが籠っている状態がウツでありさらに籠っているものよりも、その容れ物だけの空洞も又、ウツであると言うのである。*4

 ウツハ(ウツホ、ウツオ)は、まず中空のうつろな囲い、カラである。
ウツハと呼ばれるものの機能は、さしあたり貯蔵(内容保護)と反応(内容変化)と運搬(位置変化)であり、そこから貯蔵器、反応器、運搬器が分化し、さらに住、食、移動の具に分けられていく。ただ、ここでウツハとは単なる容れものではなく、ウツ(空、内)がウツ(現)となり充満する可能性であるとともに、何かをつくる可能性でもある。この可能性は、例えば「将たるべきウツハ」といった表現の中によくあらわれている。*5

 坂東賢三は、ウツハとはウツ•ハであり、このハもまた、うつろな容器的なものを指しているとする。さらにハのみでなくハ行(ハヒフヘホ)がうつろな容器的なものを指すと言う。

 ハ行がすべて容器ないしうつろを意味しているのではない。歯=刃が針や蜂や蓮に展開した例や、葉が花、旗、布、帆、畑、鰭にひろがった例、穂=秀が矛、火、星、螢などに展開するなど、多くの基語が混在しているが、空所を示すものとして、ハカ(墓)、ハラ(腹)、ハハ(母)、ハラ(原)、ヒラ(平)、ヒロ(広)、ヒロ(尋)、ヒラキ(開)、フクレ(膨)、
フクロ(袋)、ハレ(晴)、フカミ(深)、フネ(船、漕)、ヒト(人)、ホリ(掘、堀)、ホラ(洞)、
ホロビ(滅)、などの系列をもっている。イヘ(家)もこの系列に属すと言うのである。*6

 松岡静雄もイヘの「ヘ」が容器を指すと言う。つまり、金(カナ)のヘがカナヘ(釜、鼎)、土(二)のヘがナベ(鍋)、イヘも容器であるとするの。*7

 又、最も日本的な現象として、日本人は「家」を「うち」と把捉するのであってみれば、イヘとはウチであり、従ってウツであり、ウツハである。つまりイヘが容器的なものととらえられ、外に対する内である。しかし、イヘが単に範疇 Kategorien にとどまるものであれば、人間の住まうということは忘れられてしまう。*8

 イヘを分けるはたらきにおいて、Verstand - Gegenstand の対立のなかで 主 -客二元論は完成される。内と外」に関しても、それが両者とも Gegenstand である限り、内も外も実は「外なるもの」であり、範疇にすぎない。

 しかし家が単に範疇にとどまらないことは、ウチがウツ(内)であり、ウツ(空)であり、スウツ(現)であることのうちに既に幾分示されてるいる。


■イハム

 家ごもる義にイハムという語がある。イハムのイハはイヘ(家)、イホ(庵)と同源であろう。*9

 イハムは、日本書紀、神武前紀の「屯聚居」に「怡波瀰萎(イハミヰ)」という訓註をもち、書紀古訓にしばしば見える。多くは、戦いの記述にあらわれ、軍隊の集結、屯営をいうのに使われる。 表記には、「屯、屯聚、屯話、営、満」等が当てられ、語意は通常、多くあつまる、あつまり満ちる、あるいは屯営することである。*10

 一方、折口信夫もイハとイヘは同根の語であるとし、イハとは籠るところであると言う。さらに、ある石をイハと言うのは、そこに魂が籠っているからであると言うのである。*4

 従って、イハムのは単なる事物でも、道具でもなく、さしあたり人間ではあろうが、ここで単なる事物、道具、人間とは、存在者の三つの存在領域としてではなく、存在者のそのときどきのあり方として言われねばならないのである。


 それでは、人間はいかにイハムのであろうか。

 さしあたって他者と無関係に考えられるような「自己」、「対人関係」においてはじめて他者との間をもつに至るような「自己なるもの」は、そもそも存在しない。自己とは他者との間において、この間から成立してくるものである。自己が自己と言われ得るのは、他者が他者、即ち自己ならざるものと言われうる限りにおいてである。つまり、人間の第一の規定を、個人にして社会であること、ただ他者との連関においてのみ存する、間柄における人であるとするならば、その特徴的な存在のしかたは、まずこの間柄、従って、共同態にあらわれてくる。

 人の「間」の最も身近なものは男と女の間である。男と女とを分けることは既に、この「間」において把捉されているのであって、「間」における一つの役割が男であり、他の役割が女である。又、男と女がメオ(女男、妻夫)、メオト(妻男、妻夫)であってみれば、男と女の「間」とは同時に夫婦関係である。*11

 このように共同存在のはじまりは対共同体であり、性愛と夫婦がこれにあたる。特に性愛が人倫の出発点におかれるのは、単にそれが対の関係だという消極的理由によるのではない。性愛のうちに人間関係における根源的な「対偶」を見いだすからであり、男女の愛の合一が自他の対立において自他不二的に帰来するところの人間存在の根源的な動きに根ざすものだからである。

 そして、この対共同体は、その対以外のあらゆる他の人の参与を拒む。*12 しかしながら、性愛における人格的存在の相互参与、メオ(女男)は公認された夫婦関係、メオ(妻夫)、メオト(妻夫)として実現される。つまり、あらゆる他者を排除する性愛の対共同体は、かえって他者の承認を媒介として社会的にのみ存立しうるのである。

 夫婦は子を産み、父母子の関係をつくりだす。子の養育は新しい自覚の形式である。父母子の共同存在の人倫的意義は、父と母と子のいずれも「私」の止揚を要求している。さらに子が複数になれば、子の間に同胞共同体ができる。そして、この夫婦共同体、父母子共同体、兄弟共同体という層位的連関の全体がイヘなのである。

 だから人は、イヘにおいて初めて夫婦、親子、男女として役目づけられるのであって、逆に男女、夫婦、親子の集合によりイヘが成立するのではない。この家族の全体性がイヘであり、従って最も身近にイハムことである。つまり、人と人との間柄とは、日常的にはまず最も身近なイヘの、その層位的連関のうちに安定するのである。

 このことは日本語の自称詞、対称詞のあり方に明瞭にあらわれている。

 佐久間鼎や鈴木孝夫によると、日本語においては自称詞と対称詞は有史以来、次々と目まぐるしいほど交替している。そして、新しく人称代名詞として用いられることばは常に、もとは何か具体的な意味をもっていた実質詞からの転用であると言う。又、「あなた」、「おまえ」、「こちら」、「どなた」といった人を指すことばも、元来は場所や方向を示す指示代名詞であったものを転用して間接的にその場にいる人を表現するという、
一種の暗示的で迂言的な用法に由来している、と言う。*13 

 さらに鈴木孝夫は、ここで自称詞、対称詞をいわゆる一人称代名詞、二人称代名詞に限定しないで、自称詞とは話し手が自分自身に言及することばのすべてを総括し、対称詞とは話しの相手に言及することばの総称であるとするならば、その使用の規則性を支えるものは目上、目下という対立概念であり、日本人の対話は、たとえそれが社会的なコンテクストのものでも究極的には親族間の対話のパターンの拡張とみなすことがでいると言う。*13
 又、祖父、祖母、おじ、おば、兄、妹などにおいては、その虚構的用法 fictive use (実際には血縁関係のない他人に対して親族名称を使って呼びかける)が頻繁に用いられるのである。

 親族名称は自己中心語 egocentric particulars であり、さらに日本語の使用の場において多くの場合、その自称詞、対称詞は、ラテン語の ego ⇄ tu 、英語の I ⇄ you のように symmetrical ではなく、asymmetrical である。従って、日本語の自称詞、対称詞は対話の場における話し手と相手の具体的な役割を明示し、確認する機能をもっているのである。*13

 これらの説に従えば、ことばの使用の場において、日本語による自己規定は、そのつどすでにイヘの全体性において事態を引き受けることによって自己を実現すること、と言い得るのである。

 そもそも人と人との「間」という場所は、それ自体の事歴を有している。それは単に現在という一時点における個人と個人との社会的人間関係が成り立っている場所という意味だけにはとどまらない。このような意味での場所は、過去から未来へ向かって連続的に流れているものとして表象されるような時間の一通過点をなすだけのものではない。そのような場所は、現在 の場所として、その中に過ぎ去った歴史の総体を具現し、またそこから将来へと展開すべき可能性のすべてを内に含んでいる。つまり、ここに「人と人との間」としてひとまず取り出された場所は、同時に「事と事との間」であり、「時と時との間」である。*14

 従って、イヘの本質的特徴もまたこの全体性が歴史的に捉えられるところにあらわれる。現在の家族は歴史的なイヘの全体性に大して責任を負わねばならない。だからイヘに属する人々は親子夫婦であるのみならず、さらに祖先に対する後裔であり、後裔に対する
祖先である。このようにして、イヘの全体性はココの成員よりも存在論的に先である。

 しかしながら、これらのことからただちに、イヘとは各構成員が契機としてはめこまれるところの実体的枠組(家族制度)と考えてはならない。そこにおいては実存ということは再び忘れられてしまう。このような忘れさりの中では決して新しいイヘを建設することはできない。*15 間接的存在として、私が私自身を得るのは交わり Kommunikation においてである。けれども現存在における交わりは実存における交わりのいわば前段階にすぎない、たとえば風俗習慣、家族制度としてのみ成り立つ交わりは、まだ実存の交わりではない。実存の交わりはこれらすべての交わりの限界においてはじまるのである。

 家は、このようにしてイハムことに依って 初めてイヘとなり、ウチとなると言い得るのである。




— 註 —

*1 坂本 賢三 「『分ける』こと『分かる』こと」

*2 増田 友也 「建築的空間の原始的構造」P.238〜239
  S.Freud, Totem und Tabu , P.25
  R.R.Marett, The Tabu-Mana Formula, P.187
  E.Durkheim, Les Formes El’ementaires de La Vie Religieuse, P.428(494)
  E.Cassiver, Philosophie der Symbolischen Formen,2 P.127

*3 大野 晋  「日本語をさかのぼる」P.171〜181
  さらにここで大野 晋 氏は、尊卑表現における「の」と「が」の使い分けについても、元来「の」はトに属する助詞で、「が」はウチに属する助詞であったと言う。又、コソアドについては、ソ系(ソレ、ソコ、ソナタ)の語は我と汝との間で話題に関して共通の認識があるという意識において用いられる、とする。ともあれ、大野氏のコソアド論にはいくつかの問題も残されている。

*4 折口 信夫 「石に出で入るもの」(折口信夫全集, 第15巻, 所収)

*5 坂本 賢三 「機戒の現象学」参照

*6 坂本 賢三 「衣食住における自然と分化」(「講座,現代の哲学, 4.自然と反自然」所収)

*7 松岡 静雄 「新論古語辞典」刀江書院

*8 ここで範疇 Kategorien は、実存疇 Existengialien から区別される。
  M.Heidegger,Sein und Zeit 第一部, 第一編,第一章,第九節「現有の分析論の主題」参照

*9 日本書紀,天武紀頭注,参照(岩波, 日本古典文学大系)


*10 木村 徳  「古代建築のイメージ」P.178

*11 名語記 - ハ「人のめをと如何,答,妻夫也,女男也」和句解,大言海等をも参照

*12 和辻 哲郎 「倫理学」上巻, P.336〜434

*13 佐久間 鼎 「言語における水準転移(特に日本語における人称代名詞の変遷について)」      
  (「日本語の言論理論」所収)
  鈴木 孝夫「ことばと文化」P.129〜206

*14 木村 敏 「分裂病の現象学」P.257

*15 和辻 哲郎は「倫理学」上巻の中で、間柄論として出発しながらおヘーゲルを批判
しつつ、家の層位的連関を日本の婚姻風習にもとづく固定的枠組として説明する。
ここにおいて、出発点の間柄的存在論は否定されてしまう。この点については、粂 康弘「間接的存在の把握と臣民の道」(思想’82.9 所収) 参照






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