集住空間の構造
まちづくり
マンションネットワークにおけるコミュニティづくりの可能性・2
負傷者の救助
11月13日、14日、明倫文化祭が開催された。この文化祭のイベントの一つとして、14日には防災避難訓練が行われた。昨年度まで、自主防災会が主催されていたこのイベントは、今年度はMMNとの共催として実施された。
各マンションで火災警報を発報し、それに従い、各マンションのエントランスに集合し、そこから誘導の上、芸術センターに全員集合した。そこで、消防署、逓信病院のご指導の下、三角巾を使った負傷者の応急手当の方法、シーツを使った負傷者の応急搬送の方法を学んだ。
大規模災害が起これば、各マンション内では警報が鳴り、あるいはセキュリティシステムが作動するだろう。そこからはどうなるのか。セキュリティの業者とは連絡もとれず、来てくれるわけもない。消防署も動きがとれず、接近する道もないかもしれない。まずは、自分たちで身を守らなければならない。
このような万一の場合、負傷者の応急手当、応急搬送は、果たして住民の間でうまく機能するだろうか。
前回、隣人愛に関わる聖書のエピソード(ルカ10章)を紹介した。再度このエピソードを思い出してみたい。
ある人が負傷して道に伏していた。ユダヤ教の祭司が彼を見たが、無視する。おそらく彼が異教徒だったからである。次に、レビ人が彼を見たが、そのレビ人も無視して通り過ぎる。おそらく彼がよそ者であったからであろう。ところが、あるサマリア人が来合わせ、彼を手厚く介抱する。その地では、サマリア人は異教徒であり、よそ者とみなされていた。その当のサマリア人が、彼を助けたのである。
負傷者を手当てすることをしなかった者達の理由は何であったか。
愚かな人間関係のしがらみと排他主義である。
今回も、避難訓練には100人を越える参加者があった。
普段はこのまちに無関心に見えるマンション住民も、いざという時にはその大多数が
善きサマリア人となると、私は確信しています。