建築 Architecture


建築とは何か




 「建築とは何か」という奇妙な問いを問う学問分野がある。それを建築論、または建築基礎論という。これは、「建築は如何にあるべきか」を問うのではなく、「建築とは何か」、を問うのである。つまり、存在論である。

この研究は、京都大学 増田友也によって深められ、世界に冠たる研究成果がある。
哲学の いわゆる京都学派を受けて深められた建築存在論である。
しかし、この分野の研究は今や滅びつつあると言えるかもしれない。

そもそもこのような奇妙な問いをなぜ問うのであろうか。
そして、このような問いは如何にして問うことができるのであろうか。
その方法の序説・・・。



言語活動の内なる建築について 1



 一方では建築は、即自的な実体として把えられ、その前提のもとに議論される。
ここではその前提をひとまずカッコに人れ、人間と自然との最初の出会いから考え直すことを目ざしている。その方法として、言語活動の内で、建築とは何なのかを問うことを試みる。
木村徳国の研究はこの方面にすぐれた見地を開いた。

 「筆者の遠い目標は、わが国古代初期建築文化のトータル・イメージを構築したき点にある。
その手はじめに、上代四文献の建築世界を、まず、明確にとらえようとする。それは、この世界のうちに、いかなる建築が、いかような形であらわれてくるのか、また、人々がいかようにこれを利用し、いかようにとり扱っているのか、をあきらかにすることである。
そして、いまはたち切られている考古学的な事実としてのモノと、上代四文献のコトバとの間に橋をかけ、両者をつなげようとするのである。」(1)

果たして、原理的に、モノとコトバとの間に橋をかける、ということはできるものであろうか。

拙稿においては、木村徳国の研究に学びながら、モノ、コトバ、イメージの関係を根本的に間い直ししつつ、具体的には言葉としての<や>について考察を進める。



1.言語的事態へ

 我々は、時に怒り、悲しみ、恐れ、喜ぶ。
 情動は、自己自身を変化させることによって世界を変容し、世界の意味を魔術的にかえるという、自己作用性を強く示している。もちろん情動は、たいてい外部指向的な知覚にともなうことによって、なにほどかの対象指向性をおびている。怖いのは、ある対象が怖いのであり、怒りは、ある対象に対する怒りである。しかしその反面、知覚や判断もまた自己作用的な情動のはたらきによって、変容され、客観的弁別性を失う。われわれは生埋的に動転し、かっとなって、われを忘れたり、ものの見さかいがつかなくなったりする。

 情動においては自己と、そのおかれている世界といった意識は、漠たるものである。
しかし激しい情動から状態としての感情に近づくにつれて、知覚は弁別性をとりもどし、世界を魔術的に変容させる力は弱くなる。感情は、外部作用的活動に魔術的な支持をあたえ、特定の対象を価値づける志向的な面と、自己作用的にとどまり特定の対象ではなく、世界をある価値の色合に染めあげる準=志向的な面をもっている。

 だが、いずれにしても自己の変容をとおして世界の価値づけを変化させる点では、自己作用的性格をおびているといわなければならない。感情状態では、われわれはもはや動転しているわけではない。知覚にも一見影響をおよぼさないようにみえる。しかしそれは表面のことにすぎない。知覚は意識以前のレヴェルで微妙に感情の価値づけによる影響をうけている。いわば、常に既にデフォルメされているのである。


 知覚するとき、われわれは「何か」を知覚する。その何かは意識の焦点にあって明瞭に把握されている図であるが、そのまわりには、不分明にしか把握されず、あるいはほとんど意識されていない前意識的な地がひろがっている。すなわち意識野は、一様の無差別な場ではなく、図と地という文節をふくんでいる。このことは、いわゆるゲシュタルト心理学が既に明らかにしたことである。すべての事態が<主語−述語>の形式で判断され、のべられうるとすれば、その可能性は事実上こうした分節化作用が存在することにもとづいているはずである。いいかえれば主語は、何かを志向し、主題化し、図として浮かびあがらせる分節化作用のうちにふくまれている。それゆえ主語は、実体ではない。それは無名の指示作用としての図化であり、「あるもの」としてのxではなく、「目下の主題(図)は・・・である」ということを示す主題化としてのxにすぎない。

 主語を、「あるもの」と考える傾向は、西欧に根強く残っている実体論的志向と強く関係しているであろう。このような考え方は、非人称的表現(It is cold. etc.)や、しばしば主語を欠く日本語の述語的表現を理解することができない。非人称主語や主語の欠如の現象は、単なる例外的な現象でもなければ、言語の未熟態でもない。むしろそれはもっとも究極的な主語が、「あるもの」ではなく、対象的には空虚な図であり、主題化という「作用」であることを示している。(2)


2.言語表現の構造

 吉本隆明は「言語にとって美とは何か」の中で、指示表出と自己表出の二重性の構造を言語の本質であるとする。

 「(1)無言語原始人の音声段階で、音声は特定の対象を意識することができず、ばくぜんと反射的に労働、危機、快感、恐怖、呼応などの叫び声を発するものとする。・・・音声は現実界(自然)をまっすぐに指示し、その音声のなかにまだ意識とはよびえないさまざまな原感情がふくまれることになる。

(2)音声がしだいに意識の自己表出として発せられるようになり、それとともに現実界におこる特定の対象にたいして働きかけをその場で指示するとともに、指示されたものの象徴としての機能をもつようになる段階である。・・・ここではじめて現実界は立体的な意識過程にみたされるのである。この自己表出性がうまれるとともに、有節(半有節)音声は、たんに眼前にある特定の対象をその場で指示するのではく、類概念を象徴する間接性とともに、指定のひろがりや厚さを手に入れることになる。

(3)音声はついに眼のまえに対象をみていなくても、意識として自発的に指示表出ができるようになる段階である。たとえば、狩猟人が獲物をみつけたとき発する有節音声が、音声体験としてつみかさねられ、ついに獲物を眼のまえにみていないときでも、特定の有節音声が自発的に表出され、それにともなって獲物の概念がおもいうかべられる段階である。ここで有節音声は、はじめて言語としてのすべての最小条件をもつことになる。」(3)

 吉本隆明の言語論に即して考察すれば、例えば次のようである。狩猟人がある日迷い出て、威風堂々たる山容を眼前にした時、その狩猟人の意識が(1)の段階にあったなら、その叫びを反射的に<や>なら<や>と発するはずである。また(2)の段階にあったなら、眼前の風景に意識は、あるさわりをおぼえ<や>という有節音声にさわりがこめられ、眼前の風景を象徴的に指示することになり、さらに(3)の段階では洞穴にもどった後でも、あの風景を<や>と発しつつ思い浮かべることができることになる。

 ここで吉本隆明の示した言語の三段階は、歴史的な順序として読まれてはならない。
そうではなくて、弁証法的叙述として読まれなくてはならない。つまり表出されるべき「自己」があらかじめあるのではなくて、「表出」の内的な反射として、「自己」が生じるのであり、従って、その「自己」は既に対他的な関係の内にある。対他的なコミュニケーションは「自己表出」の形成と同時的だということである。「現実対象」が即時的な実体などではないことは、もはや明らかである。

 自己表出と指示表出の構造として発せられた有節音声は発声音の表出であるが、それに還元できない要素は文字によって生まれ言語表現として自立する。つまり、書き言葉の発生は声それ自体としての話言葉の単なる写しなどではない。


3.言語表現としての建築

 言語の本質を自己表出と指示表出の構造として把えるということは、言語を表現として把えることであって、単なる規範としての「言語」などは、ここでは言語ではない。

 眼の前に図書館がある。それは主として図書を収集し、それを様々に利用する目的にかなうようにつくられ建物である。商店や銀行や事務所の建物でも、この目的にかなうかもしれないが、特にこの目的にかなう意図でつくられた建物を図書館と呼んでいる。この建物を<市庁舎>と呼ばないで<図書館>と呼ぶのはなぜか。それは規範的に<図書館>と呼び慣わされているからである。私が、図書を収集し利用するための建物を<図書館>と呼ぶとき、私はその言い慣わしに従ったのであって、私が眼の前に図書館を見ているということとは関係がない。つまり知覚とその対象には関係がない。ここでは<図書館>=規範的符号図書館であって、どんな具体的な図書館とも無関係に成立する。

 一方、言語表現としての<図書館>は自己表出と指示表出の錯合である。<図書館>という文字によって図書館の「像」は喚起される。<図書館>という文字を前にして、甲と乙と丙とが、それぞれ無数の別の図書館の像を導きうるものとすれば、それは甲と乙と丙の現存性の歴史のちがいによっている。言語表現<ラウレンツィアーナ図書館>はラウレンツィア一ナ図書館という建築作品(Biblioteca Laurenziana、Michelangelo設計)を指示するとともに、それぞれがもっているラウレンツィアーナ図書館の印象の総和を与える。甲が文字に表現した<ラウレンツィアーナ図書館>と、乙が文字に表現した<ラウレンツィアーナ図書館>は等価ではない。<ラウレンツィアーナ図書館>を中心として前後にえがく、甲と乙のそれぞれの文章表現の拡がりが、それぞれ甲の<ラウレノンツィアーナ図書館>、乙の<ラウレンツィア一ナ図書館>の価値に向かって集中するからである。というより実は、このような言語表現の結果、表現者としての甲と乙、読む者としての丙(甲、乙自身でもある)が生じるのである。


4.言語表現の歴史性

 知覚することが即自的な実体の知覚ではあり得ず、主体の図化作用Gestaltenにおける図Gestaltの知覚なのであるが、その時有節音声が、自己表出として発せられれば、つまり言語が発せられれば、その言語は、眼前の図Gestaltとの一義的な関係を既に持っていない。

例えば狩猟人が山をみて、自己表出として<や>と言った時、<や>という有節音声は、眼前の山であるとともに、また他のどこかの<や>をも類概念として抽出していることになる。そのために、反対に眼前の山は<や>という言葉では具体的にとらえつくせなくなり、<やま>なら<やま>と言わざるを得なくなった。もっと具体化して<泊瀬の山>、きらに<隠り国の泊瀬の山>、<隠り国の泊瀬の山は出で立ちの宜しき山>、・・・この過程をいくら踏んでも、視覚にうつる山を一義的にあらわすことはできない。この事態は、いつの時代でも全く同じである。もし、あるひとつの文章が泊瀬の山の山容をほうふつとさせることができたとすれば、それは言語が持つ像を呼びおこす力による、言語世界の出来事なのである。

 「ある時代の社会の言語水準は、ふたつの面からかんがえられる。言語は自己表出性において、わたしたちの意識の構造にある強さをあたえるから、各時代がもっている意識構造は言語が発生した時代からの急げきな、またゆるやかな累積そのものにほかならない。また、逆にある時代の言語は、意識の自己表出のつみかさなりをふくんでそれぞれの時代を生きてゆく。
 しかし指示表出としての言語は、あきらかにその時代の社会、生産体系、人間のさまざまな関係、そこからうみだされる幻想によって規定されるし、しいていえば、言語を表出する個々の人間の幼児から死までの個々の環境によっても決定的に影響される。また異なったニュアンスをもっている。このようにして言語の本質にまつわる永続性と時代性、または類としての同一性と個性としての差別性は、言語の本質の対自と対他の側面としてあらわれる。
 言語の表現である文学作品の中にわたしたちがみるものは、ある時代に生きたある作者の生存とともにつかまえられて、死とともに亡んでしまう何かと、人類の発生ともに累積されてきた何かの両面であり、本質としては、作者が優れているか凡庸であるかにかかわらないのである。」(4)

 したがって指示表出としてのみ言語を把えれば、記紀万葉における<家>と現代の<家>とは全く違う。又、眼前のそれを、日本人なら<家>と呼ぶが、英米人なら<house>と呼ぶのである。

 我々は、日常のひとつひとつを、それほど自己表出の重みをもって使っていない。言葉が惰性化し、既にわかりきったふうな常識のリストと化する傾向があるからである。そこで、何か自分の気持ちを表現したいとき、自己表出の重みを与えつつ、一語一語を慎重に選んだり、饒舌に長々と語ったり、同じことをくり返し言ったりしなければならなくなる。しかし、一方でこの言葉の惰性化傾向は、むしろはじめて発せられた言葉の価値を保存する機能を持っていると思われる。言葉を惰性的に使っている場合、その表現者白身が意識的でなくても、自己表出の伝統が、自覚の代償をなし、語の価値はむしろ保存されるだろう。


5.言語表現としての<や>

 木村徳国は、上代四文献(古事記、日本書記、風土記、万葉集)から、いわゆる建造物の範疇と言えるような言葉を取り出し、その言葉の像について考察している。そこで主に取り上げられているのは、<むろ>、<くら>、<みあらか>、<との>、<や>、<いへ>、<やど>等である。

 「筆者は、ヤを、弥生時代以来のわが国の伝統的建造物一般−ただしクラを除く−をふくむものと推定する。・・・ヤは、漢字「屋・舎」などと密接に結びついて文献にあらわれる。そして上代語で建築構造物-内部空間をもつ構造物-一般を包括的に意味し、指示していたように受けとれる。たとえば、ムロもムロヤ(たとえば日本書記歌謡第九)と呼ばれ、トノの類も、ヤによって呼ばれることがすくなくない。ヤは、建造物のほとんどの種をおおっていた。(ただし、クラだけは、時代が早ければ、ヤのうちにふくめられなかったであろう徴証がみえる。クラの大きな特殊性の一であった)。・・・太古、ほとんど一種にかぎられていたヤが、文化の発展にともなって機能を分化し、次々に新しき種を加えて、ヤ(語尾)類のひろがりを形成していったのであった。・・・上代四文献中、ヤが単独であらわれるのがきわめてすくないことを注意しておきたい。これは、ヤがあまりにも広く建物を意味するので、ヤという言葉だけによっては、記述が非常に漠然としてしまうことから発するのであろう。この事実もまた、ヤの包拮性を背後から裏づけるものとしてとらえられる。」(5)

 木村徳国によれば、日本の言語のうちで、いわゆる建造物を指示する最も古い語は<や>であり、太古よりその<や>は建造物一般を意味していた。しかし<や>の指示表出機能はあまりに漠然たるものだから、より明確で限定された指示表出の必要が生じたとき、<いはや>、<うまや>、<うぶや>等が発声せられ、書きとめられるようになった、と言うのである。

 木村徳国の論の限界は明らかであろう。彼の論の中では、ある言葉は何を指示しているか、のみが抽出されようとしている。何故その言葉が発せられたのか、言語の存在論にあくまで寄り添いながらでなければ、建築の存在論を展開することはできない。

 拙論において、言語を自己表出と指示表出の二重性の構造としてきた。何か言う必要が生じ言葉が発せられる時、それが言葉少なであればあるほど、その一語一語に自己表出がこめられることになる。指示表出が漠然であるほど、自己表出性は強くなる。

 坂本賢三は<や>に対して別の類概念を提出している。
「古代の日本では、「いへ」が「や」と「むろ」と「との」の三つに分けて考えられている。「や」は屋根のある家であり、宿が「やど」と読まれているのも、それが「屋処」だからであり、・・・「や」は「やま」(山)・「やぶ」(薮)のように高くなったところや盛り上がったものをいう語である。」(6)

 坂本賢三によれば、<や>は<やま><やぶ><むろや><やど>に内蔵された<や>である。この説に従えば、狩猟人が、あの有節音声<や>を発したとき、彼の眼前に、あるいは心の中にあるのは山なのか薮なのか、建造物なのか定かではない。山、薮、そして建造物の対象物としての形態的共通性は、高くなったところ、盛り上がったもの、ということかもしれないが、はじめて見出した山、はじめて見出した薮、そしてはじめて見出した建造物に共通の、ある自己表出が<や>に、こめられているはずである。言語の意味とは指示表出と自己表出の錯合としての言語構造の全体の関係であり、その意味が言語の像を与える。そこではじめて言語<や>の像が浮かび上がってくるのである。<やま><やぶ><やど>等として内蔵された<や>の価値はどのようなものか、別稿を期したい。



*1  木村徳国:古代建築のイメージ P.12-13
*2  サルトル:サルトル全集、哲学論文集所収 情緒論粗描
     市川浩:精神としての身体 P.66~75
*3  吉本隆明:言語にとって美とは何か、角川文庫版 p.34-36
*4  同:p.41
*5  木村徳国:前掲書 p.97・149・151・159
*6  坂本賢三:自然と反自然、所収 衣食住における自然と文化 p.165





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