武道の身心空間 ー ヒロさんとの対談

ヒロさんは わたしの友人の、オステオパシーの施術家、松尾泰志さんです。
以下はヒロさんと facebook上で話を交わしたものです。

風水のこと . 体を鍛えること

1・風水のこと

ヒロ
 表鬼門と裏鬼門があります。表は北東、裏は南西
昔の大工の人とか、建築の方たちはこれらをちゃんと考慮されていたようなのですが、
最近部屋の間取りとか見ていると、これあかんやろうっていうのが目につくんですね。
この鬼門ってこと自体知らない人が増えている。。迷信なんでしょうかね。

 私の認識では、北東はエネルギーの入口、南西は、エネルギーの出口みたいな認識、
だから南西には何もおかない、一番清浄にしている場所って感じです。

京都は、比叡山が表かな、岩清水八幡神社が裏
ついでに、上賀茂さんが玄武、北
八坂さんが青竜、東
城南宮さんが鳳凰、南
松尾神社が、白虎、西
さて、中央はなんでしょう? って作られている。

それを衛星の地図で見ると、つくづく凄いよ。
でも、最近なのか、いらん改修工事とかして、それらの力を破壊しているようです。。
どうエネルギーが変わっていくのかは、わかりませんが。
 話を戻すと、自分の住んでいるエネルギーの場を見直すことも大事じゃないかなって考えております。

中島
 賛成です。僕は「方向性の力」と「場所性の力」の二つを区別した上で、
これが絡み合って、風水、例えば「四神」の思想ができていると考えています。

京都はこの二つの力が強く絡み合っています。
奈良では、特に明日香あたりでは「方向性の力」の方が断然強い。
吉野熊野では「場所性の力」が圧倒する。

ヒロ
 中島さん、ありがとうございます。
「方向性の力」と「場所性の力」について、わかりやすくご教授くだされば幸いです。

中島
ヒロさん。
「方向性の力」「場所性の力」という僕の独特の用語が言葉足らずでごめんなさい。
少し説明させてください。

「方向性の力」・・例えば東なら東、西なら西という方向は、
その方向の独特の力をこちらへと、あるいは向こうへと放っています。
「風水羅盤」はこれらの一つの体系化です。

「場所性の力」・・例えば一本の棒を地面に突きたてれば、それだけでその場所には放射状の力の場ができます。
こうして僕らの身の回りは様々な力の場が絡み合っています。
「蔵風得水」というのはこの力の場の一つの理想のコンポジションです。

このように、僕らの生活空間は「方向性の力」という軸線上の力と、
「場所性の力」という、場所のコンポジションの力との複合によって
成り立っていると考えられます。
これは理論としてよりも、ヒロさんが鍛えられているように、感得することによって
自分というミクロコスモスと響き合わせることが見えてくると思います。  

2・身体を鍛えること

ヒロ
 身体を鍛える鍛える、という言葉が出ましたが、
武術の達人の方々は、大概において筋トレは必要ないっといいますね。
どうやって、あんないい身体になるのでしょう? 謎や~

柔道選手の野村忠弘さんは筋トレしてなかったそうですが、怪我からの復帰のときに
筋トレとプロテインをはじめたようなことを、テレビでみた記憶があります。
柔道って、乱取りとかで筋肉がつくので、ある程度はいけるのではないかと思いますが。
空手とか中国の拳法とかはどうしているのやら。。

 私の場合、中学のときに水泳部だったので、泳いで筋肉アップ、
そして、肉体労働でさらに筋肉アップ、それでも最高59kgでした。
久しく何もしてなかったら、45kgまでだだ下がり。。ヤバイって思って食べて運動して、
48kgそして51kgまで、回復。。

今のトレーニングは、ウォーキング、四股50回、タントウ6分、プルプル気功6分、
空手の型30分、っで週に2回ほど腕立て、懸垂、それぞれいろんなバージョン、
これでだいたい1時間をちょっと超えるくらいを毎朝の日課に、できないときは休んでOKにしています。
目標は60kg、胸囲をアップさせてスーツが似合う身体。

本当は、いい師匠に出会って、週2、3回通えると謎がとけるんだけどね。。
まぁそれまで基礎訓練積み上げて、筋トレしない方法に移行していきたい。
ついでにいうと、武術と医術は、表裏一体なので、
施術家は武術をすることにより見えてくるものがあると考えております。

中島
 僕の考えでは、武道は、身法、口法、意法、の一体化によって完成されます。
ここで、身、口、意というのは密教の用語を引用しています。
ヨーガや気功で言う、調身、調息、調心と言っても同じです。

「身法」は突き詰めると「歩」と「坐」に分けることができます。
正しく歩く、正しく坐ること。ただし、坐る、とは
ここでは座禅のように文字通り坐すことに限らず、
正しく立つことをも意味します。

僕らは、正しく立つことをよく、正しく坐る、と表現します。
(詳しくは、nakajimayasushi.com の「 癒し healing 」を参照してください。)
LinkIcon癒し healing へ

こうして、一連の動作(套路)の訓練は 身法、口法、意法の一体化の訓練です。

これを繰り返し訓練していると、必要な筋肉は自ずと付いてきます。
ここで必要な筋肉は、ほとんどインナーマッスルです。
いわゆる筋トレは主にアウターマッスルを鍛えます。

インナーマッスルは大きなパワーが出せないという誤解が一般にあるようですが、
中心からのパワーがインナーマッスルに乗ると、パワー、スピード、正確さは最大になります。
アウターマッスルを鍛えすぎると、むしろこの力の流れの邪魔になります。
(このあたりは、同じく、nakajimayasushi.com の 武道、「力を抜くこと」を参照してください。)
LinkIcon「力を抜くこと」へ

インナーマッスルは、表層意識だけではコントロールしにくい部分を含むので、
口法、意法も同時に渾然一体としなければなりません。
こうなってくると、武道はヨーガ、気功、座禅などの真髄に近づいてきます。

 こうして、武道は単に勝つ負ける、の次元を越えていきます。
僕が「武術」と言わず、「武道」というのはこのことを離れたくないからです。


ヒロ
 以前も中島さんのホームページの 癒し のところは読もうとしたのですが、
なんでかしら、難しそうだったのでスルーしてました、すみません。

武道の方の力を抜けって、私達のオステオパシーでは、力を抜いて、手を透明にしろって言われます、抜けっていわれても抜けない、なんか力がはいってしまいますし、
透明はなんとなくできるんです、イメージですから。

山岡鉄斎や肥田式の先生の写真をみて、丹田が大きいようにみえるんですが、
煉成するから丹田は存在するのでしょうか?
丹田を煉成してないと、ほとんどないと同じなのでしょうか?


中島
 何だかつっけんどんな書き方をしてしまってすみません。
ホームページの癒しのところの文章は、学会に発表したものに加筆したもので、
分かりやすさより、論理の漏れがないように書いているので、
分かりにくくなってしまっています。

武術においては、交感神経を興奮させて力んでしまう人が多いので
指導者はそれを見ると「力を抜け」と言いたくなります。

 丹田については、経絡のシステムとそこでの流れから成ると考えています。
淀みと流れ。淀んでいてはいけませんよね。
しかし、流れというのは塊のようにあるものではないですよね。

例えて言えば西洋医学で肝臓はこれだ、と言って取り出せるあるものですが、
中医学でいう肝はこれだと言って取り出せるものではありませんね。丹田も同様。
しかし、正しく煉性していくとそこにあたかも、はっきりとここにある、かのようにある、
しかし、それはこれだ、と言って取り出せるものではない、という様相を呈する。

 実際によく煉成された人の場合、丹田あたりの肚が
外形でも大きく見える場合が多いように思います。
頭頂のチャクラを煉成した人の頭頂も、大きく出ている場合が多いように思いますが、
なぜでしょうね。

ヒロ
 ありがとうございます、確かに先ほどの先人の方たちは、
あたかも、はっきりとここにある、ように見えます。
不思議で一時期は何枚もみましたが、気のせいかと思っていました。
頭頂部は意識したことがなかったです、いろいろと偉人たちの頭頂部をチェックしてみます。
わかりやすく教えていただき、感謝です。ありがとうございます。

中島
とんでもないです。

* * * * * *

Talking with Hiro about Feng Shui and body training

1. About Feng Shui

Hiro

There's a front kimon (unlucky direction or place where evil can pass through, translator's note) and a back kimon.
The direction of the front kimon is northeast, that of the back one is southwest.
In the past carpenters and architects considered these things, but when I look at layouts of rooms these days, it strikes me that they are no good.
People who don't even know about kimon are on the rise. Is it nothing more than a superstition?

To my understanding, the northeast is the entrance for the energy flow and the southwest is the exit, therefore nothing should be placed in the southwestern corner. It is the place that should be kept the cleanest and purest, something like that.
Kyoto is constructed in a way so that Mount Hieizan is probably the front gate and Iwa-Shimizu-Hachimangu the back gate.
And while I'm on the subject, Kamigamo Shrine is Genbu (the "Black Warrior", a turtle entwined with a snake, one of the four imaginary creatures or guardian spirits protecting the four points of the compass, translator's note), protecting the north, Yasaka Shrine is Seiryu, the Azure Dragon, protecting the east, Jonangu Shrine is Suzaku, the Phoenix, protecting the south, and Matsuo Shrine is Byakko, the White Tiger of the West.
So what is in the center?
When looking at it on a satellite image, it is truly wonderful.
Although recently, through unnessecary repair works, the power of the four creatures seems destroyed. I don't know how the energy will change.


To come back to our subject, I think it's important to think about the energy of the places we live in.


Nakajima

I agree. I destinguish between power of direction and power of location which are intertwined, and I believe the ideology of feng shui, for example the four guardian spirits, developed from there.
In Kyoto, these two forces are strongly intertwined.
In Nara, especially around Asuka village, the power of direction is definitely stronger.
In Yoshino-Kumano the power of location is overwhelming.

Hiro


Thank you very much, Mr. Nakajima.
If you could explain in an easily understandable way about the power of direction and the power of location I would be very happy.

Nakajima

Sorry for my lack of clarity on these two peculiar terms of mine, "power of direction" and "power of location". Let me explain a little.

"Power of direction": East, for example indicates the direction in the east, west the direction in the west. The peculiar power of that direction flows towards here, or away from here towards that direction. The feng shui compass is a systematization of these powers.

"Power of location": For example if you plant a stick into the ground, merely by doing so, that spot will become the source of radial energy.

Like this we are surrounded by various energy spots connected between each other.
Chang-pung teuk-soo ("Getting good wind and water". Landscape formed like this. Place where energy collects easily, translator's note) is one power spot with an ideal composition.

In this way it is thought that our living space consists of "power of direction", with the power on an axis, and "power of location", where the power is in the composition of the space.
This shouldn't be considered a theory, but - just as you are doing while exercising - it is something that after getting the knack of it, you will start to see how it blends with the microcosmos that is you.


2. About body training

Hiro

There is much talk about training the body, but masters of the martial arts generally say that it isn't necessary to do muscle training. How do they achieve such a great body? It's a mystery to me.

I heard that judoka Tadahiro Nakamura didn't do muscle training, but I remember seeing on TV that while recovering from injury he started muscle training and took proteins. In judo, in the free exercises and so, muscles are being built up, so to a certain degree that should take care of the problem, I think. But I wonder what they do in Karate or Kung Fu.


I, for example, belonged to the swimming club in Junior High School, so while swimming the muscles would build up. Then, through physical labor, my muscles developed further, but even then my maximum weight was 59 kilograms.
After doing nothing for some time my weight fell to 45 kilograms. I felt that was dangerous, so I started eating more and exercising, and my weight recovered to 48, then 51 kilograms.
The training I'm doing now is walking, 50 sumo-style leg stomps, six minutes of zhan zhuang gong, six minutes of purupuru Qi Gong, 30 minutes of karate kata, plus twice a week various versions of push-up and chinning exercises. I make it a rule to do these exercises that take a bit more than an hour every morning, unless I have no time. My aim is to reach 60 kilos, and to increase my chest measurement so that suits will look good on me.
Actually, finding a good teacher and being able to practice twice or three times a week would solve the mystery.
Well, until then I will continue to build up my basic training, switching over from muscle training.
And while I'm on the subject, as the martial arts and the medical art are the two sides of the same coin, I think a surgeon would gain new perspectives by practicing the martial arts.

Nakajima

In my thinking the martial arts are made complete by the unification of the "practice of body", the "practice of mouth", and the "practice of mind".
Here I cite the terms "body", "mouth", and "mind" from esoteric Buddhism.
In the terminology of Yoga and Qi Gong the words "regulation of body, breath, and mind" express the same thing.
If you get to the bottom of the principle of body, it can be divided into "walking" and "sitting", meaning walking correctly and sitting correctly. However, "sitting" isn't limited to the literal cross-legged sitting as in Zen-meditation here, but also includes standing correctly.
We often express "standing correctly" by saying "sitting correctly".
(For details, please refer to "healing" at nakajimayasushi.com)

In this way, the training of a sequence of movements (Tao lu) is the unified drill of the practices of body, mouth and mind.

By repeating this training, the necessary muscles will develop naturally.
The necessary muscles here are almost all inner muscles.
In what is known as muscle training, mainly the outer muscles are trained.

It seems there is a general misunderstanding that inner muscles are not able to produce great power, but when the power from the center is carried by the inner muscles, strength, speed, and accuracy are achieved to the maximum.
When the outer muscles are developed too much, they rather hinder the flow of force.
(About this subject, again refer to nakajimayasushi.com on "Loosen up").

As the inner muscles can only partly be controlled by the consciousness, we have to create a complete harmony by also doing the practices of mouth (= breath) and of mind at the same time.
Like this, the martial arts come to resemble yoga, Qi Gong, and zen meditation.


In this way the martial arts go beyond the dimension of merely winning or losing.
Precisely because I don't want to miss this aspect, I call them Budo (the principles of the samurai) rather than Bujutsu (the military arts).

Hiro

I tried before to read your essay on healing on your web site, but somehow it looked difficult, so I skipped it. Sorry.

Just as the people practicing the martial arts are told to loosen up, in osteopathy we are also told to loosen up and make our hands transparent. But even when told so I can't. Somehow I end up being tense. About my hands having to be transparent, I can somehow succeed, as it can be done through mental imagination.

When looking at pictures of the teachers of Tessai Yamaoka and Hida Style, their Dan Tian looks big. Does the Dan Tian only exist because we train it?
If we don't train it, is it the same as almost nonexistent?

Nakajima


Sorry for somehow writing in an unclear manner.
As the text about healing on my web site is the revision of a publication I gave at a conference, I was more concerned with accuracy in the logic than with easy understandability, so it ended up being difficult to read.

As for the martial arts, many people stimulate their sympathetic nervous system to exert their strength, so their teachers feel like saying "loosen up" when they see that.

About the Dan Tian, it is believed to grow out of the meridial system and its flow.
Stagnation and flow. It is no good to have stagnation.
Yet, flow doesn't mean massive flow either, does it?
To give an example, in Western medicine, the liver can clearly be defined and even extracted, but the liver in Chinese medicine is much more than the organ itself, so it can't easily be pinpointed or extracted. It's the same with the Dan Tian. But when you train it correctly, we can somehow feel, "here it is!", although it isn't a clearly defined substance that we can extract.

In the case of people who have trained their Dan Tian well, I think there are many cases where it is actually possible to see a bulge in their abdomen near their Dan Tian.
I think there are also many cases where the top of the head of people who have trained their chakra there can be seen as protruding. I wonder why that is.

Hiro

Thank you very much. It certainly looks like the Dan Tian is locatable, so to speak, in people like the masters we talked about before.
Strangely, for a period of time, I saw several photographs like that, but I thought it was my imagination.
I hadn't been aware of the protruding top of the head, but I will look out for it on masters from now on.
I'm very grateful for your easily understandable explanations. Thank you very much.

Nakajima

Not at all.



translated by Barbara Inui





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