集住空間の構造 ー 灘祭りと灘地区の住構造

On the Liminality of Space and Time in Nada District, Himeji, Japan


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On the Liminality of Space and Time in Nada District, Himeji, Japan            
灘 祭 り と 灘 地 区 の 住 構 造

・・・liminality の 時 空 に つ い て



◆◆◆研究の目的

 住空間の構成を考えるとき、日常性と非日常性の両方を視野に入れなければならぬことは当然である。しかし、そのシステムの一つである地域社会のハレとケのダイナミズムを近代社会は徹底的に破壊した。本研究の対象地域の姫路市灘地区は臨海部の近代化によって工業地帯の景観をなしているにもかかわらず、その「灘まつり(妻鹿の喧嘩祭り)」の日には圧倒的な迫力をもって全く特異な風景が出現する。本研究は灘祭りに注目することによって、日常生活のスタティックな分析によっては捉えられない住生活のダイナミズムを祭りの表現のなかに探り、これからの地域づくりの方向を考察するものである。



◆◆◆祭りのシナリオ概略

10月14日、宵宮(夜宮)

・氏子の出立ち・・・朝風呂につかり、キヨメの塩をかけられ、祭り装束に身を固めた氏子が家を出る。
・屋台の練り出し・・・各村の屋台蔵から屋台が練り出される。宮入りの順と神社までの距離との関係から各村の練り出し時刻は異なる。獅子舞用の曵き檀尻を持っている村(東山、松原、妻鹿)では屋台の練り出しに先立って獅子舞の行事を行う。
・宮入り道中・・・各時刻に練り出された屋台は各々の村を一巡し、産土神などに挨拶してから松原八幡神社に向かう。東山、松原、妻鹿では露払いとして獅檀尻が先行する。
・宮入り・・・東山、木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村の順に松原八幡神社の楼門をくぐり、境内に入る。この宮入り順は明治以来原則不変。獅子舞、獅釣りの奉納。宮入りした屋台は拝殿前に進み、神官のオハライを受ける。
・屋台練り・・・境内境外でカラフルなシデの林立するなかを屋台が練り競う。
・帰村・・・夕刻、屋台は各村に帰る。

10月15日、本宮(昼宮)

・露払いのキヨメの儀式・・・未明、松原氏子たちが獅檀尻を曵いて御旅道の練り場矢倉畑へ、次いで松原八幡神社へ参拝し、獅舞奉納、神官からキヨメのお払いを受ける。
・潮かきの儀式・・・午前6時頃、神輿の練り番に当たっている村の氏子たちが村の最寄りの海岸に出て大幟と神輿幟を捧持して海に入り、海水を浴びて禊をする。
・氏子の出立ち・屋台の練り出し・・・ 宵宮より約3時間早い。
・宮入り道中・宮入り・屋台練り・・・宵宮に同じ。但し、その年に神輿の練り番に当たっている村は屋台を出さず、大幟と神輿幟を持って一番最後に宮入りする。神輿の練り番の村は楼門と拝殿の間を三度早駆けで往復して拝殿に入り、安置してある三基の神輿を年齢別に三組にわかれて担ぎ出す。
・神事渡行・・・御神体三体が神輿三基に乗って松原八幡神社の御旅所である御旅神社に渡御される。各村屋台もこれに続く。社人と称する東山氏子たちと宮司、禰宜、巫の神職たちで構成される神職団は神事渡行に先立ち神社幣殿において祝詞、奏楽の厳かな祭儀を執行する。が、屋台練りと群衆の騒音に全く打ち消される。御旅道道中、三基の神輿は練り場、矢倉畑にて激しくぶつけ合わされる。ここで大破した神輿は御旅神社に到着すると神職団は社前にて厳かに祭儀を執行する。後、一行は山を降り、神輿は松原八幡神社に還御、屋台は各々帰村する。

◆◆◆灘祭りの「喧嘩」性

 まず神社幣殿における神事のはじめからその静謐さは群衆によって全く打ち消されている。続いて御神体三体が乗った神輿三基は御旅道の途上で既に激しくぶつけあい壊される。そして御旅神社ではその大破した神輿を前に厳かな神事が執り行われるという奇妙な光景が見られるのである。ここには「祭り上げ」、同時に「祭り捨てる」という暴力的な祭りの表現がある。さらにこれは人が神に対する「祭り上げ=祭り捨て」という暴力にとどまらず、人が人に対する非常に危険な暴力的行為であり、多くの怪我人と、時に死亡者を出す。

 神輿の練り場である矢倉畑は二つの小山のつくる地形がちょうど円形劇場のようになっており、その自然地形による建築的舞台設定において、居合わせる観客は激しい神輿の練り合わせといやがうえにも情動をともにすることになる。
 祭りは一般にそのハレの時間に厳粛な「超・日常的世界」と、喧騒の「脱・日常的世界」との共鳴する二面性を持つものであるが、この灘祭りにおいてはそうではなく全体が「神事そのものの破壊」という暴力的な情動に満たされる、言い換えれば「破壊そのものが神事」なのである。

 情動とは、サルトルのいうように魔術的に世界を変更する意識の生きられた退化である1)。「喧嘩」という暴力的、攻撃的情動によって、このハレの日に世界が魔術的に変更されているのである。この地域は必ずしも経済的に裕福ではない。矢倉畑で展開されるのは、経済人類学的に「過剰の蕩尽」の演技であるが、それは経済的過剰の結果ではなく、精神分析学的にエロス=タナトスの過剰の結果であり、したがってエネルギーとしてはリビドー=モルティドーの過剰であって、それが神輿の破壊、喧嘩口論、怪我人の続出等の表現を得ているのである3)。
 この祭りでは共同体の危機が導入され演じられており、それによってカタルシス効果が実感されている、と見ることができる。このカタルシスこそがキヨメ=浄化=昇華=sublimationなのであろう4)。しかしながら、精神医学的にはこの昇華は禁忌によって惹き起こされるものであって、その限りで昇華においても過剰の緊張は常に残存する。こうして祭りは言わばパラノイアックに毎年繰り返され、ハレとケのサイクルが構成されることになるのである。

◆◆◆灘祭りの「ポトラッチ」性

 灘祭りの執行機関は灘七村の各村自治会総代と松原八幡神社宮司の八者で構成される宮総代会であるが、現実には各村の自主性が非常に強く、祭礼経費についても七村全体の共通経費は極くわずかで、大部分は各村毎の必要経費である。現在ではサラリーマンならボーナス一回分は祭りのためにとっておかねばならない、と説明される。この祭りは村人たちにとって莫大な財の蕩尽であって、神輿の練り番の村は他の六村民の見まもるなかで神輿を威勢よく破壊することが要請されている。これらの特徴を「ポトラッチ」的と呼ぶことができよう。

 モース、バタイユに沿って解釈すれば、この「ポトラッチ」は各村間にヒエラルキーを持ち込むものであり、神輿練り番の村はこの破壊行為によって他の村に対して優位に立つことができる5)。祭りにおいて七村間の緊張はいや増すのであり、「喧嘩」は村内にではなく各村間で発生する。この村間の競合関係は、神輿の練り番の輪番制という「象徴交換」によってバランスがはかられるとともに、同時にそれが七村間のclosed systemを構成する。

◆◆◆村内の反秩序性としての祭り

 神輿の練り番に当たる村は三基の神輿を練り出さねばならない。三基の神輿は一の丸、二の丸、三の丸と呼ばれ、それぞれに松原八幡神社の祭神である品陀和気命(応神天皇)、息王足姫命(神功皇后)、比咩大神が分乗される、と説明されている。熟年組は一の丸、壮年組は二の丸、若年組は三の丸を練る。大半の村では十五歳、二十五歳、三十五歳がその区切りとなっており、ここにはっきりとしたage groupの表現が見られる。そして祭りの日に互いに神輿をぶつけ互いを破壊し合うという行為を通じてage groupの日常秩序を破壊することが行わる。つまり年齢による村内秩序境界の自己破壊である。

◆◆◆祭りに見る灘の二重構造

 上述から、祭りをめぐる灘の地域は村間構造と村内構造の二重構造をなしていることがわかる。すなわち、村間構造は七村の競合関係のなかを一村が神輿の破壊という演技を通じて他の六村から優位に立ち、その練り番を毎年輪番で回していくことを通じて競合のなかにバランスをつくりあげる。そしてその輪番制が円形に閉じていることによって閉鎖構造をつくる。一方、村内構造は神輿の破壊という行為を通じて age groupの日常秩序をいったん顕在化させてそれを破壊する。
 日常生活においては顕在化しないこの祭りの二重構造が、祭りの日の象徴交換行為を通じて顕在化するのである。

◆◆◆妻鹿村の特異な存在性

 現在の祭りは灘七村の各村が個性を主張しながら平等のバランスをとっているが、歴史的に見ればその中で妻鹿村の存在が特異であったことに気付かされる。
 そもそもこの灘祭りは、「妻鹿の喧嘩祭り」とも称する。祭りの名称が既に灘七村のなかで妻鹿の存在の特異性を物語っている。「峯相記」、当社「縁起」によると松原八幡神社の御神体は妻鹿の人物が拾い上げたものであり、松原八幡神社文書のなかに、中世より松原八幡神社の神役を苛酷なまでに妻鹿の住民が強いられていた事実が見える。
 日常においても、他の六村が十世紀頃石清水八幡宮の寄進地系荘園として成立したと考えられる松原荘の村々であるが、妻鹿村のみがその社領外である。生業ではこの地域の漁業は圧倒的に妻鹿村に集中しており、魚市もたって灘七村のなかで最も活気ある場所であったと思われる。

◆◆◆灘における日常と非日常の風景の構造
 日常の風景は一般に山川海等によって特徴付けられるトポグラフィのつくりだす庇護された空間を構成するような景観をなすものである。つまり「内」を構成するのである。妻鹿村を除く六村は周囲を山と海とに囲まれ、よくまとまった庇護された「内」なる景観をかたちづくっている。そこからは妻鹿村は「外」である。

 これに対して祭りの時には全く異なった風景が出現する。六村にとっての中心である松原八幡神社と「外」なる御旅神社とが神事渡行のかたちで結び合わされ、「内」と「外」の境界である矢倉畑が全体の中心の位置を占めるのである。これは「外」なる妻鹿を中心に据えて「内」と「外」を劇的につなぐ演技であって、妻鹿の異質性、すなわち過剰性を排除しつつそれに依拠するというアンビヴァレンスの風景の出現である。そのとき「喧嘩」の情動は群衆の全体とともに一気に魔術的に世界を変革し「内」「外」、「聖」「俗」のliminalityを活性化させた特異な風景となる。

◆◆◆灘祭りの可能性

近代社会は小規模のハレを日常生活に滑り込ませたのであり、ポスト近代社会はその小規模のハレがさらに方向を失った社会である。祭りとは一般に自己幻想が共同幻想と同調しているというイメージを植えつけるものであるが、近代以後祭りというかたちではこのことは非常に困難となった6)。
 現在のところ灘祭りが地域活性化に有効に機能しているとすれば、それは以上に見たような祭りの二重構造と危険性を導入した大規摸の破壊という蕩尽行為によって全体に強い情動性を漂わせることによるものと見てよい。これらがこの祭りを単なる気晴らしやレジャーと異質なものにしている当のものである。
 しかし、この祭りの現体制はclosed systemを成しており、さまざまな意味で今後の開かれた社会に適合することは困難である。新しい個人主義社会へと脱皮していくためには前近代の閉鎖的地縁血縁関係でなく、近代的な政治利害関係でもなく、文化的共感の連帯を実現しなければならない。幸いにして灘祭りには歴史的に政治利害関係がなく、むしろそれらを排除してきたのがこの祭りの特徴の一つである。各々個性ある七村をその多様のまま統一している点も今後の社会に重要な示唆を与えている。したがって今後のこの地域活性化にはclosed systemをいかに開かれたものに転換していくかにかかっていると言ってよい。ここには近世よりさまざまな職業人が移住してきた歴史があり、地域の風土としては開かれた地域性を持っているはずである。又、
この地域には周辺地域には見られない驚くべき大規摸なリビドー=モルティドーの表現が可能なのである。このことから我々は開かれた地域のための舞台づくりを提案している。




(1)情動とはここでは身体的表出を伴う激しい感情のことを指す。
   サルトルは、情動は生理的心理的な混乱無秩序などではなく、世界に対する合理的な関わり方から魔術的な関わり方への急激な移行、と捉える(サルトル「情緒論素描」)。
(2)農業について、一人当りの耕地面積は当地域と隣接する村の5分の1程度。
   漁業はほとんど妻鹿が占める。
(3)一般にリビドー、モルティドーは融合したかたちで働くが、ここでは自己破壊衝動、
   攻撃性がおもてに出ている。
(4)キヨメハライの儀式一般をカタルシスと見ることができようが、ここでは
   不安を危機の導入の形で処理している。
(5)ポトラッチの解釈は様々だが、ここではモース「贈与論」、
   バタイユ「呪われた部分」での解釈に従う。
(6)自己幻想、共同幻想は逆立の関係にあるものであって(吉本隆明「共同幻想論」)
   同調しているというイメージそのものが幻想であるが、近代以後
   二つの間の乖離は一層大きくなった。

(初出、日本建築学会、平成3年の論文に幾分加筆)






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